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世代または世代論(続き)

かえるメモ

「世代または世代論」について、まだ考え続けている。(世代または世代論〜⑴ )


そもそも世代「論」に意味があるのか。意味があるとしても、その主張に有効性はあるのか?
世代に関して、一杯飲み屋の議論から離れて、この議「論」を、理論=実践のために、どのように有用・有効にするのか。

いわゆる「集団自衛権容認閣議決定」および「安保法制」の政治的議論の中で、世にも稀なる《大衆運動・市民運動なるもの》が世間をにぎわせた。この賛否両サイドの《運動》。「安保法制=戦争法」反対派には、SEALSの若い人たちもいた。しかしロートルしか「立ち上がら」なかった。運動の中心は「60歳代後半から70歳代」。日本共産党の新聞「赤旗」の読者も相当高齢化し、読者数の減少は著しいように見受けられる。他の旧「左翼」系も勢力減少は著しい。「社会党」なんていう政党、どこかにあったな。「社会主義協会」も。新左翼諸党派・グループも同様だ。「市民運動」と云われているグループも退潮している。アナーキスト系もそうだろう。この状態は最近始まったことではない。ダイタイ「左翼」って死語?( ´艸`)。

 

このような減退傾向の中で、「運動」なるものの幕間に、自分を含めた「年寄り」どもの、自分語り(笑)、嘆き(笑)、諦め(笑)が聞こえた。集会の後に「総括」とやらで年寄りどもが「若い人たち…」云々と云うのは嫌というほど聞いた。聞き飽きた。あんたらのノスタルジーとやらは。前は…。やれ方針が。ぁぁ、飽き飽きした。60年安保、70年安保、大学闘争。そりゃ、いつのことだい。三里塚・芝山闘争。狭山差別裁判闘争。……さすがに60年安保を持ち出すおじいちゃんは足腰が立たずにデモに行けないか。デモは大変だ。身体を張ることになる。下手をすりゃ~、機動隊とやりあう(やっつけられる)ことになる。公妨(公務執行妨害)ですぐとっつかまる。

 

まあ、つまらん嫌味を云っていてもはじまらん。生産性がないからやめよう。なぜなら、これぞ当に「飲み屋談義」だから。

さて気を取り直してまじめに考えてみよう。「世代論」は理論=実践に有効か?

 

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世代または世代『論』(以下「世代論」と略する)を「云う側」の意識・意図・論理と「云われる側」の受け止めさせられ方とその論理〜受けとめ側

 

1,「云う側」の論理
「自己の世代、端的に言えば自分に従え」、という論理
❶自分の方が年上なんだから、エライ。故に自分に従え、自分を尊重せよという要求・欲求。承認欲求。この欲求を他者に無理やり承認させるための云いがかり。
❷自分の思っていることが通らないことに対するイラダチ・焦りの表明。
「今どきの若いものは…」とか世代論でイラダチを表明している。これは、意図的な場合もあろうが、無意識のうちに述べているに過ぎない。
❸教育・啓発の名のもとでの支配。
特に新聞社(讀賣新聞朝日新聞産経新聞)などのマスコミ、テレビ(NHK)などの上から目線での啓蒙主義。特に「若い世代」に対して「社会の価値観」を教えてやるというもの。
❹企業の「教育」。
オンザジョブトレーニング、飲み会をはじめ「当該企業ないし企業社会の文化」の伝承・教育。その中で「今の若い人たち」に対する「教育・指導」がなされる。
文科省イデオロギー政策。学習指導要領、道徳・生活指導などを通じての啓発。自己を育てるという名目で、一見個人主義的な立場をとりながら、所謂新自由主義的押しつけ、資本の自由・大きいもの支配しているものが勝ちという考え方(イデオロギー)の押しつけ。(例えば、乙武某氏が道徳教育の授業に取り入れられ、あちこちの小中高校での授業研究のたいしょうになっていた。自己を解放するという名で。これぞ、まえの世代の押し付けの一種では?)
❻「左翼」「右翼」、特定主張をもっている大衆・セミ指導者ぶっている連中の「昔は良かった」式の発言。この人たちはなまじ自己が指導者と思いこんでいるから始末が悪い。いまの環境、日本(世界)資本主義の展開、現代資本主義に進展を理解しようとするが、ぬめぬめしたイデオロギー攻勢の現状に適切に対応できていない。(自分こそ要注意。)(つづく、多分)

 

(追記1、2/20)

「世代論」についてはあきたので(苦笑、アキっぽい)、一旦これでおしまい。また、今度機会があれば考えようっと。まあ、自分勝手に書いてる処だから、誰も困らない。

お付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました。特によんばばさん世代間の違いの個人的考察 - よんばば つれづれ、爽風上々さん「”世代”の正体 なぜ日本人は世代論が好きなのか」長山靖生著 - 爽風上々のブログ、とうふさんとうふのホルモン、hmさん、ありがとうございました。お邪魔しました。

この問題を考える過程において、Amazonで「世代」または「世代論」で本を検索すると、「世代」「世代論」に関する本がたくさん出てきて、驚きました。そしてそれらの本の特徴は、マーケティングに関するものが多いという印象です。まあ、特に消費行動・消費者意識に関する「研究」は重要だからでしょう。

マーケティング論にからめとられず、有意義性ある議論はどこにあるのか、という疑問があります。

(追記2)

私自身が関心を持っていた(過去形ですが)分野では、裁判官の意識形成、判例の形成の連続性と断絶性、「上部構造」に属する制度・司法官僚(≒裁判官)の意識・行動と世代論に関心がありました。

故・長谷川正安教授の憲法判例研究第5回 裁判官のイデオロギー――長谷川正安『憲法判例の研究』 - 忘れられた名著たち―戦後憲法学・再読はもとより、重要な研究があり、1970年代後半から関心を持っておりました。

(追記3。02/20/1600)

さらに、2015年5月3日に出版された『日本国憲法の継承を発展』(全国憲法研究会【編】・三省堂創立50周年記念論文集 | 全国憲法研究会

は90歳代の研究者から40歳代の憲法研究者まで「回顧」談も含め、書かれており興味が惹かれます。昨年暇を見つけては読んでいましたが、私自身にとっては、特に自分より上の世代の研究者の苦闘、特に戦争と平和、そして人権を希求する意思に再度感銘を受けました。同時に「若い」《世代》N氏の議論に関心しましたが、失望させられることも多くありました。鬼籍に入られた先輩、研究者の奮闘を感じながら。また長谷川正安氏や渡辺洋三氏の後継に当たる方をあまりお見受けしないのはどういうことなのか、ここでもマルクス主義の研究が甘くみられていることを感じざるを得ません。仕方がないこととは云え、残念です。

 

〈憲法学者列伝〉鈴木安蔵先生⑴ - かえる日記

〈憲法学者列伝〉鈴木安蔵先生 ⑵ - かえる日記

 

世代または世代論について【手紙、のようなもの】

かえるメモ

    私がよく読ませていただいているブログで、その女性の書き手の方が、「世代間の違い・個人的考察」というエッセイをお書きになられている。明け方、読ませていただいた。この方が「考察」されていることは私自身、私の相棒(=同伴者)が感じていることでもあり共通の「感覚」がある。
    ほんとはその方の処にメモを書き込むのがいいのかもしれないが、私の理解が誤ったり、そこから飛躍してしまい、その書き手の方に、ご迷惑をかけるとよくないので、自分のブログにメモ【手紙、のようなもの】という形で書き留めておく。(したがってそういうことなのでリンクも張らない。)

 

    その方は昭和26年生まれと云われている。(私は1957年生まれなので6歳違いだ。)
    その方はこう書かれている。(以下非常に雑駁なまとめで、私の読みが書き手の意思・こころを反映しているかわからない。申し訳ない。)

    学校では「権力は腐敗する」、「だから『ジャーナリズムは権力を監視する』務めがある」ということを学んだ。その当時は、「戦争中教え子を戦地に送り出した」教師たちが「「教壇に立っていた時代」だからそう教えたのだろう。だから「いま社会活動をしている中心層の60代後半から70代以上の世代は」(!)は「権力は腐敗する」と認識をしている。
しかしその子どもたちの世代30後半~40代の世代はそうではない。さらに20代、30代前半の人たちの感覚は違う。
社会運動に「ご夫婦で参加している方はいらっしゃるが、親子で集会に参加したりして」いるのを「私はほとんど見ていない」

 

    多くのの論点がある。
    1つはこの方がお書きになっておられるように各世代の時代背景だ。私流にいえば、日本資本主義(世界資本主義)の、この60~70年以上にわたる展開と、その下での財界・文部省・自民党・のイデオロギー政策、テレビなどの「マスコミ」(さらには現在の「ネット社会」を資本が利用していること、など考え合わせると各時代背景とその影響を考えるのは一筋縄ではいかない。
    2つ目は、どのような「社会」が望ましいとお考えになられているか、そのための、どのような社会運動をお考えになっておられるのか、~「民主主義を機能させること、自立した『ひとり』でありたい」とねがわれ行動されているのであろうことは、ブログの端々に現れていて、とてもすてきだと私は感じる。このような方が、いることに救われる。(私は茨木のり子さんの「倚りかからず」という詩がすきだ。 倚りかからず / 茨木 のり子 著この方に捧げる。

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    3つ目は主体の側の力量・「民主」性、ありやいなや。
    論点は多い。書き足りない。実践的でない。時間もないし例によって、半端だ。だがまた考えたら書くことにしよう。

 

    なお、ジャーナリズムは資本によってつくられ資本の意向を伝えるもので「権力を監視するもの」ではない、と考えている。


    だが(!)それにつけても、社会運動の中心が60代後半~70代というのは笑ってしまう現象だ。結局「団塊の世代」だけがやってて、「団塊」は子育てに失敗したということだろうか?
    結局彼らの世代の子育て、時代の育成はどうだったのだろう?

    私のいろいろな「世間についての感想」は適当に見てくださればわかるだろう。


    なお、グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉論稿は、細かい箇所は議論する必要があるが、問題意識は共有する。

    私の好きな若い書き手たちはどう感じるだろう。とうふ sさん。さて、hm。

    もちろん答えはいらない。ただ云ってみただけだから。

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いろんな「忍法」

かえるメモ

この数日、色んな『忍法』の使い手がいることに気が付いた。前から知ってたこと(ヒト)もあったが、改めて忍法の使い手とその使い手を雇っている殿様のことを考えさせられた。

オモシロかったのは、憲法学者が忍法の使い手となっているケースだ。ある方が、この憲法学者の「事例」について「事例研究会」を開いてくださっているので、今後もこの方の「事例研究(ケーススタディ)」に注目する。だからこれ以上触れない。「過激な」だけの(はははは)オレは口を出さずに見て楽しむことにしま~す^。まあ、この分野は、オレは新参者で口を出すほど調べてないし、よく知らないというのがホントの処ですが。

それにしても世界中にはいろんな忍法の使い手とその使い手を雇っている殿様がいると関心させられる。
日本のディズニーランドにも来たことがある方が、クアラルンプールの空港で暗殺された話も興味が惹かれる。バカ殿が暗殺指令を出したと云われているが、どうせそのバカ殿の行動把握していたヤツラもいるんだろ。主犯はそっちじゃないか。二人考えられるけどね。

 

暗殺と云えば、トロツキーは、1940年8月21日、メキシコでだ。スターリンの手先に暗殺された。

ただ肉体的暗殺でなく、心の暗殺も恐ろしいものだ。

ココロの暗殺に関連して、私が今注目しているのは今度の指導要領「改正」で江戸時代に『鎖国』はなかったという記述になるということだ。この指導要領の「改正」の狙いは種々あると思われる。
その中の重要なポイントの1つは「江戸時代に『鎖国』政策は採られていなかった」という記述になるということだ。井上清氏家永三郎氏など連綿と続いてきた戦後日本の歴史教育の流れは完全に葬り去られる。私は彼らの「史学」を全肯定するつもりもないし、批判点は多い。だが、今回の指導要領「改正」はとりわけ重要だろう。世界認識・日本歴史認識に国家が方向を与え「指導」を強化するのだから。

 

最後に、憲法の先生の教科書の「はしがき」から少しだけ引き抜いておく。
「本書の執筆依頼をうけたとき、率直に言って、引き受けるべきか否かについてある種の迷いのようなものを覚えた。…けれども、執筆を引き受けるに至ったのは、一種の世代論的認識のようなものであった」
「筆者が執筆の最中にしばしば思いを致したのは、P・A・フロインド教授の『法と正義について』の一節であった。法の存在理由は、芸術の場合と同じように、人間の多様性と無秩序を愛おしみつつ、それに一定の秩序を付与し、「無秩序」と「秩序」の間に均衡と適正な緊張関係を保持することにあるのではないか、…筆者の立憲主義へのアフェクションは、フロインド教授の法の役割に対するこのような捉え方への共感に根差している」「昭和56年2月」。
私の手元にあるのは、第三版だけど、初版からもっていた。このはしがきはよく読んだ。批判的にね。

まあ、この人がアソコの座長です。前の司法「制度改革」のときも中心人物でした。多分この方も、忍法の使い手です。使われ手かなぁ。山田風太郎の研究したら、ええんや。

 

ぁぁ、自分の身の回りを含めて疲れる。ヘルマン・ヘッセに慰められる。

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書くこと=生きること、日米帝国主義同盟【手紙、のようなもの】

かえるメモ

あなたへの手紙を、【手紙、のようなもの】というタイトルでここに書くのが一番しっくりするので、幾つかのことをここに書きます。

このような文章を読まされる方はかないません。お忙しいあなたに読んで頂くのは適切と思いません。
ただ、僕はぼくの内在的欲求からは、このダラダラした文章を書かざるを得ません。しかもまとまりもつきません。というか、纏まりをつけない、論理を追わない思考=文章を書いています。意図的に・意識的に。(負け惜しみと思われるかもしれませんが。)

ごめんなさい。ですから、これをお読み頂かなくていいし、もし眺める時間があるなら、ご自身の思索思考に専念してください。その方が社会的有意義性がありますから。

🌃      🌠

書くこと(広く「表現行為」と云ってもよいでしょうが)は、自己を明らかにするということだと僕は思っています。書く対象が政治・経済・社会、法律に関しても、またそれが「仏道」(たとえば親鸞など)であっても、そうです。自己を明らか(顕か)にすることです。(さらにゲームをすることも、そうだと思います。クリエーターはもちろんですがゲームをするひともそうだと思います。実は、僕はゲームをしないのでよくわかりませんが(笑)。)

《ひとが生きることは、自己を明らかにする過程と行為とその諸結果だ》と僕は思っています。

《書く》ためには、(対象について)学び、考え、捉えなおし、さらに考えるという作業が必要です。その過程で「自分」が出てくる(=明らかにされる)。そしてそれを示す中で自己が生きる戦術・戦略、天性のモノが表れてきます。

 

《ヒトは何処にいても、何を見ても聞いても、結局、《自己》に突き当らざるを得ません。》


僕の思考=行動指針は二分論的です。社会認識と自己認識を区別する方法論をとってしまいます。これは十代の後半から、「無意識的・意識的・経験的」に作り上げてきた思考方法であり、パターンです。

この方法(論)には強い批判があります。

でも僕は実際にそのような思考=行動の傾向にあるし、それが自分にとってしっくりくるので仕方ありません。

 批判されても、結局、


《おれがオレを「生きている」のは「オレ」であり、「あんたではない」》。
《おれがオレの身体を生きているのは俺であり、お前ではない》。

 

社会認識・行動指針としてはマルクス(レーニン・トロツキー)を基礎に置いています。特に「下部構造決定論」の発想が強いです。現代・現実の資本主義分析と階級論が基礎です。そして上部構造はその反映である(にしかすぎない)。社会認識に関する文章・思考=行動はそのような考え方を基礎にし、行動を決定し行動します。

しかし自己認識判断にあっては違う思考・思考様式を無意識のうちに採っています。ぼくは元々《柔らかなもの》《ふわふわ》が好きです。幼稚で気持ち悪いかもしれませんが(笑)。一方でいい歳をしたおっさんがこんな資本に取り込まれたような言辞をしていること自体、現在の資本主義に取り込まれ自己崩壊を招く元凶・原因だ、帝国主義の思うつぼだ、と思いつつも、そのことを隠す気はありません。というか隠して生きられません。

🌠    🌃      🌠

さて最後に、ぼくはいま現在の日本の状況に触れざるを得ません。
日刊ゲンダイ』の一面に(2/13)に「おぞましい日米同盟強化 奴隷国家日本の今後」「共通項は幼児性と排他性 トランプと蜜月に浮かれる狂気」という記事がある。

共通項は幼児性と排他性 トランプと蜜月に浮かれる狂気 | 日刊ゲンダイDIGITAL

タイトルだけで中身は分かるというモノだろう。「日米同盟」の現状・ゴルフ三昧・北朝鮮のミサイル来たぜ、ラッキー(実はこれも予測してどういう芝居をするか日米帝国主義同盟は織り込んでいたのかとも思うが)。2chを見るとよくわかるが、この記事・2chスレをつぶすのに必死になっている勢力がいる。お金をもらって工作している連中だらけだ。この程度の記事でさえつぶしたい。「ぱよく」、「ヒュンダイの手先」など悪罵と憎悪、カネ、排外主義と幼児性の表れがこれでもかこれでもかと並んでいる。

結局、「日本」NHK世論調査NHK世論調査 内閣支持58% 不支持23% | NHKニュースはこうなっている。


安倍内閣支持    58% (先月調査より3ポイント増)、

              支持しない23%(6ポイント減)
安倍・トランプ会談 「大いに評価する」13%、「ある程度評価をする」55%,
                                   「あまり評価しない」21%
                                   「全く評価しない」6%

共同声明の日米共同での「尖閣防衛」

                                          程度差はあるが「評価する」71%。

                                       「あまり評価しない」21%,

                                        「全く評価しない」5%

 

さて僕のようにこれらに積極的に反対するという者はどうしましょう?


尖閣諸島は日本領でない、北方領土も日本領(主権が及ぶ地域でない)と考えているかえるはどうしましょうね。


書きたいこと、きちんと書くべきこと(理論的=実践的に書くこと)はたくさんあります。しかし、とりあえず、ここで失礼します。

 

お知らせですが、いま、私の処に検索を通して見に来ておられる方は二系列あります。一つは〈柳原病院・関連の記事です。もう一つは、自衛隊の自己崩壊につながる可能性があるものです(じつはとてもとても遠いですが)『自衛隊に迫る真の危機、」。最近高遠さんたちがやっていて、朝日新聞週刊女性に紹介されている運動体の人たちが気にして調べている中で偶々私の記事に出会うのかもしれません。自衛隊の内部に繋がりを持たれている方々かもしれません。この傾向は毎日で、1月から変わりません。スキッチとってあるので一定の傾向は分かります。なお、私は「はてなブログ」pro版を使っていません。お金ないんで無料版でやっています(笑)。

 

とりあえず、また。そっちに冗クチ、叩きにいきますかね。あ、そう、オマエ、つまらんから来るなって(笑)。じゃ、そっち、オレに!有意義なもんで(マジで笑)、拝読させていただきます。敬愛するdさん。

それから、サンクス、 sさん。おい、オマエさん、角に頭ぶつけるなヨ。hmも。他の方、とても感謝。

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ぱく、かえる、喰われちゃった。笑。

 昨日、来てくれた方、コメしてくれた方ありがとうございます。

 

すべて魂の問題である。

かえるメモ

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日々、死ぬのにはもってこいの日だ。

すべては魂の問題だ。

 

東芝の巨額損失・原発建設事業・違法経理操作

かえるメモ

ぼくは『東芝』が好きだった。何時のころからかは覚えていないが、『東芝』のことは好きだった。

この会社は元々、からくり儀右衛門(田中久重 寛政11年・1799年~明治14年・1881年田中久重 - Wikipediaらが作った会社だ。

「日本」の資本主義にとって重要な役割を果たしてきた。田中久重は「日本」の人たちの生活文化に欠かせない電灯や「万年時計」を発明した。


昔ぼくが子供の頃、「からくり儀右衛門」というNHKテレビドラマがあった(1969~1970)。土曜日の夕方6時からやってたように思う。僕はこのドラマが好きだった。工夫・色々な発明~日本のエジソンみたいだった。
また、からくり儀右衛門は、『JIN-仁-』(村上もとか)という漫画の中にも描かれ出てくる。この『JIN-仁-』はのちに(2009年・2011年)、テレビドラマ化され何度も放映されている。youtubuにも動画があるはずだ。JIN-仁- - Wikipedia

 

僕がandroidタブレットを最初に買ったときの機種は、「東芝」だった。「中華パッド」という選択肢もあったんだが、「東芝」製をつい買ってしまった。無骨だけどがっしりしていて使い良かった。今となるとあのスピードののろさに閉口するけど。
この『東芝』のタブレットの使用方法について、一度『東芝』の客相で聞いたことがあった。僕が「東芝製品って本当にいいですよね。大好きなんです」と云っているのに客相のおじさま(声の様子からは僕と歳がそんなに変わらなそうだったっけど)は、「お客さんにそう言っていただけるのはうれしいんですがね、とてもとてもうちの会社は褒められるようなもんじゃないし、この製品だって~~の処が使い難いでしょう。いまいちなんですよね^~」。おじさんはもう笑ってしまっていた。


この会社の「職場規律(ふふ)はこんなに乱れているのか、士気は低下しているのか」、と思った。技術者として製品についてよくわかっていても客相に飛ばされ、嫌になっている感じが出ていた。悲しき宮仕え。そして東芝は大丈夫なのかと思った。(その当時電話録音はされていなかったと思う。)

 

この『東芝』は「日本」の人々の生活・文化・経済に役立った。特に電気・電灯、モーター、タービンなど消費・生活基礎の分野での役割は大きなものだった。
だが当然、日本資本主義・帝国主義の生成発展と軌を一にして、戦前・戦後を通して、侵略・人民弾圧、労働者に負荷をかける会社であった。


これは『東芝』のHPなどの「正史」東芝のHP(歴史と沿革:歴史)には書かれていないが、この会社の『負』の問題は、この会社を含む「日本」を見つめ、この「日本」社会の変革を望んでいた人たちには周知のことだ。

特に「福島第一」原発の崩壊前から反原発闘争に参加し日本のエネルギー政策に反対してきた人たちはこの『会社』が何をしてきたか、原発建設で米国の会社GEや日立などとともに何をしてきたか、少ししらべればわかる。まあ、いいや。まだ書けるし資料も少しは持ってるけど。またね。

 

🌃マスコミは東芝の「不正経理」って書くけど、おまえらいい加減にしろよな。【違法経理】だろう❗️会社法にも証券取引法にも、会計原則にも違反し刑事罰の対象だ。それなのに「不正」というユルイ言葉。ホリエモン堀江が怒る💢筈だ。

そうやって、おまえらも【原発原発村】隠しに加担してたんだ。もう忘れた。

企業、官僚組織、マスコミ。三位一体。+学も。

 

 

 ✴️あゝ、よく寝た。昨日昼の3時に寝た。一時目が覚めて起きたけど、ずっとベットの中で、朝 7時頃まで寝てた。昨日は低気圧が来てたし、この間の疲れが溜まっていたみたい。12時間以上寝てたな。

雪が降ったんだね。朝起きたら気がつきましたよ。

今朝の景色です。(0707)

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そして畑も。

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東芝タブレット

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かなり下げたね。ナイアガラという程でもないか。前はもっとすごかったもんね。

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(0830)

 

 

異端・異説

かえるメモ

きのうある方のブログを読んでいたら、映画「『沈黙 サイレンス』なぜ弱きわれらが苦しむのか」を取り上げられておられた。この映画は遠藤周作の『沈黙』が原作だ。この方の感想はユニークで興味が惹かれた(1月30日付け)。
また、別の方がブログで、遠藤周作の『沈黙』について書かれておられたのを思い出し、併せてこれも再読した。このブログ原稿は2016・02・04にお書きになられている。お書きになられた方の渾身のことばで書かれている。
(ご迷惑になるといけないので、何方も紹介はしない。悪しからず)

このお二方の文章から改めて《異端・異説》ということについて考えせられる。
「異端」という意味ではトロツキーもそうだ。
トロツキーの『ニーチェからスターリンへ』というトロツキ―人物論集は面白い。
トロツキーは200本以上の人物評伝を書いていると云われている。そしてこの本には16本の評伝が収められている。トロツキーの「人」を見る目は確かだし、例えば「論敵」であるニーチェに対する人物評の文章は冷静、客観的で、かつ自分の立場を崩していない。(続きは後で。気がむいたら。)

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(以上:08:30)

(21:20)メモ

今日はこの続きは止めて、他の方のブログを読む。

gさん、4年目。gさんの処にある僕の「隠れ家」は教えない(ふふ)。yさん。uさん。

sさん「沖縄」。大江の沖縄ノートは?

 

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