自衛隊は中国軍について、どのような研究をしているか。

海上自衛隊幹部学校という「学校」があります。
この「学校」では、海上自衛隊の指揮・戦術・戦略について研究、教育しています。


「軍」のことを知るには、「軍」に参加・運用する人・組織に「軍」の実態を聞いてみるのが、一番早い。分かりやすい。ただ、その「軍」の考え方・戦略、組織のあり方が、正しいかどうかは別物です。
「軍の仕事」は、武力(軍事力)で他国を「押さえること」です。他国の意思を挫く(くじく)、他国を防衛の名の下に侵略することです。そのための戦略を立て実施(戦闘行為)をすることです。

日本では、憲法第9条の戦争放棄の下で、国家行為としての戦闘行為が禁じられています。議論は、あります。こう言い切ってしまって、いいのか、躊躇するところがあります。
むかし、「左翼」は、ずっと、非武装中立を唱え、国家行為としての武力軍事力行使について、研究・議論をしてこなかった。たとえば、旧社会党の石橋委員長に代表される「非武装中立」論です。
軍事について研究・議論すること自体が、自衛隊(日本軍)を肯定することになる、あるいは、軍事力行使を要求する米国支配層、日本・自民党、財界、官僚の思うツボだから、同じ土俵に乗らない、ということだった、と思います。
確かに、その考え方には、一理あります。
一度、軍事の議論に入り込んだ以上、抜けられなくなります。クラウゼヴィッツの戦争論ではありませんが、軍事は政治の延長線上にあります。最終的には、ある戦闘行為が侵略であるか、防衛であるか、という議論は別として、政治権力の行使の最終目的が自国の支配を確立維持拡大することである以上、軍事力によって、支配を確立しよう、という議論が出てくるのは、必定です。
したがって、他国、他国民を支配したいという欲求を持つ支配層は、最後は、軍事力武力によって、自己の支配欲求を満たそうとする。民衆は、そんな支配層の「テコ」にされ、総力戦に駆り出され、手足をもがれ、いのちを奪われ、暮らしをメチェメチェにされる。それぐらいなら、議論自体をしない。そんな考え方があっても、いいと思います。絶対平和を目指す。
しかし、私は、その考え方は、取りたくない。今の支配層が嫌だから、これを取り替えたい。武力軍事力行使も最終的に国民が決める。こんな「くに」が望みです。
ですから、武力・軍事力行使も十分研究し、日本国憲法第9条が、生きるようにしたい。

それに、軍事研究したくらいで、取り込まれるなら、何をやっても取り込まれる。それは、仕方ないのです。今に生きている以上、今あるものを見つめることが、生きる、ということだ。わたしは、そう思います。

以上を前提にして、海上自衛隊幹部学校のサイトを紹介します。
是非、日本自衛隊が、何を考え、どのような戦略で「他国」(現時点で最も問題にされるのは、中華人民共和国です)を「押さえるか」、米軍、米国支配層の考え方も含め、考えたい。
その一助になります。

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カール・フォン・クラウゼヴィッツ(プロイセンの軍人。軍事学。1891年没)

著書『戦争論』はあまりにも有名。

参考 海上自衛隊幹部学校HPから。

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