自衛隊と東日本大震災〜君塚元陸幕長の死亡記事に接して

東日本大震災の際に陸海空の3自衛隊の統合部隊が「活躍」した事はよく知られている。この地震とその後の出動で自衛隊はおおくのことを〈学んで〉いる。

部隊展開、指揮命令方法・指揮命令系統、権限の集中のさせ方、米軍との共同作戦、人心の把握の仕方、いざ有事戦時の際の隊員のケアなど、自衛隊は軍事面でも使える。むしろ本来任務である「戦時」での活動に有効な手法を実践できた。ある意味、自衛隊にとっては、貴重な経験をした。

また、戦時の際の原発対策(いざ有事、原子力発電所が攻撃されたときの処置)、通信、物資、弾薬、戦車輸送について課題が生じた。

国民はこれから、これらの課題が、『国会緊急権』、緊急時の自衛隊憲法改正という問題で出てくることを想定して検討する必要がある。
自民党維新の会、橋本氏らは、憲法改正は、まず、緊急時対応の規定から、と主張している。
そこで、まず、自衛隊サイドからの総括を見てみよう。

[2011年7月14日 / 日本経済新聞 夕刊 
自衛隊「最大の作戦」統合任務部隊、役割終える(永田町インサイド)

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君塚元陸幕長

指揮官は見た 被災地の真実

東日本大震災の発生から4カ月。政府が初めて編成した陸海空3自衛隊の統合任務部隊は7月1日に役割を終え、解散した。
②防衛相直轄で1人の将官が10万人を動かす統合運用や日米共同作戦により、人命救助や被災者支援に貢献。
③半面、原子力災害への備えなど課題も浮き彫りとなった。自衛隊史上「最大の作戦」で現地指揮官を務め、
④次期陸上自衛隊トップに内定した君塚栄治東北方面総監が被災地の真実を語った。

A )権限集中 10万人体制が機能
⑴初動はどうでしたか。

 「3月11日の震災発生時、仙台駐屯地の執務室で激しい揺れを感じた。必ずあると言われてきた大地震津波も来ると考え、非常呼集、全員集合を命じた。(阪神大震災では自衛隊法に基づく知事からの出動要請が震災発生の4時間後だったのに対して)各県知事からの要請を待つ猶予がない場合、ヘリコプターでの偵察など自主派遣できる枠組みが整っていた。同時に北沢俊美防衛相から統合幕僚長を経て出動命令、各県知事からも1時間以内に要請が来た」

⑵陸海空の統合運用は生きましたか

 「指揮官就任は3月14日。早い段階で指揮形態を相談型の『共同』ではなく、1人の下に権限を集める『統合』としたため円滑に動いた。知事との調整でも陸海空のヘッド3人が八岐大蛇(やまたのおろち)のように相談していたら間に合わない。菅直人首相の決断による異例の自衛隊10万人体制も十分に生きた。一方で現場の被災状況とニーズをつかみ、部隊をどう配置するのかは苦労した」

津波への備えはどうだったのでしょう

 「3年前には1978年の宮城県沖地震30周年を機に自治体を巻き込む大規模な震災訓練『みちのくアラート2008』を実施した。東北方面隊は津波とともにある。1960年の初めに仙台に置かれてすぐ、チリ地震津波があり初仕事になった。50年後の2010年2月にまたチリ地震津波が起きて動いた」

原発事故 想定外、対応後手に
原子力発電所事故への準備は不十分でした

 「正直、深刻な原発事故を想定した準備はなかった。今回多くの教訓を得た。自衛隊原発20キロ圏に入るのも遅くなった。がれきの中でご遺体を捜索する長時間の仕事であり、独自の放射線量計測により人体への影響を調べる必要があった」

 「原発事故対処は自衛隊が関与する枠組みになっていない。我々の仕事は住民避難だけで、それ以上はしなくていいとのことだった。ところがふたを開ければ放水など多くの仕事をしている。別の準備の仕方があった」

⑸政治との関係をどう考えますか。

 「今回は直轄部隊として毎日、防衛相と直接電話で話し、他省庁との調整もしていただいた。シビリアンコントロール文民統制)の下、政治との関係の一つのモデルを示した」

⑹米軍との協力もスムーズでした。

 「大事なのは日米の相互信頼と、米軍の能力に見合う働く場の提供だった。米海兵隊などの仙台空港の復旧、孤立した宮城県気仙沼市沖の離島、大島に上陸した作戦は成功した」

 「仙台空港では米軍だけでなく日本の建設会社も活躍した。前田建設工業グループの前田道路を中心に、米軍が入る前に大量の重機を持ち込み、滑走路の半分の1500メートル分のがれきを撤去。米軍機が着陸できるようにした。米軍は残りを取り除きターミナルを復旧。管制システムを持ち込み運航可能にした。米軍、調整役の自衛隊、日本の建設会社、空港事務所の共同作業だ」

 「信頼醸成では米軍が心配した放射線の問題も重要だった。確かに我々も情報を知らされなかったし、今になってメルトダウン炉心溶融)と言っている。米軍は真っ先に放射線量を聞いてきたため、駐屯地で日米それぞれが計測して突き合わせた」

⑺心のケア 車座で胸中を吐露  隊員の健康、心のケアも課題でした。

 「毎日、ご遺体と向き合う中、心のケアも重要で、夕食後、暗闇で車座になり、苦しい胸のうちを吐露しあう反省会が効果的だった。初期はレトルト食品ばかりで多くの隊員がビタミン不足で口内炎を患った」

自衛隊と地域社会との距離が縮まり、感謝の言葉もよく聞きます。

 「いつ変わるか心配だが、良い状態を続けたい。被災者支援では隊員の発想も生きた。大量の支援物資が使われないのを見た隊員が(通販にヒントを得た)サイズや色の詳細を書いた写真入りの救援物資カタログを提案した。宮城県の35市町村に配ったところ好評で、物資を有効活用できたと聞く。自衛隊に1人の英雄はいない。皆が英雄だ」

⑼今後の体制は。今後の見通し

「今回は最大10万7000人を動員し、仙台の統合任務部隊司令部にも700人が詰めた。7月1日に同部隊が解散。現在は陸海空2万3400人(8日時点)の体制で、宮城県石巻市中心の入浴・給食支援を残し、平時に戻りつつある」(震災現地取材班)

4ヵ月で延べ1000万人投入・地元部隊が支援継続

見通し
 自衛隊東日本大震災の発生以来、13日までに延べ1012万5千人を動員した。1995年の阪神大震災は3カ月超で延べ約220万人。東日本は津波の影響で被害が広域かつ甚大だったため、規模、期間とも阪神を大幅に上回った。

 陸海空3自衛隊を1人の現場指揮官が統率する「統合任務部隊」を7月1日に解散して以降は山形県東根市に司令部を置く陸自の第6師団と、青森市の第9師団といった地元部隊を中心に給食や入浴などの生活支援を続けている。部隊規模は縮小したものの、活動の長期化は必至な情勢だ。

⑽ 課題   原発向けロボット検討 輸送・通信強化も課題

❶ 君塚氏は「深刻な原発事故を想定した準備はなかった」と振り返る。例えば、東京電力福島第1原子力発電所の事故を受けた「原子力災害派遣命令」は自衛隊の歴史で初めてだった。

自衛隊法に基づいて防衛省が2007年9月につくった「防災業務計画」は、原発事故への対応として自衛隊が周辺住民の避難誘導や放射性物質除染活動などに当たると明記している。しかし、今回の原発事故で自衛隊が迫られた原子炉や使用済み核燃料プールの冷却のための放水、建屋の温度測定といった任務は同計画でも想定外だった。

今後の予期せぬ事態に備え、自衛隊は防災業務計画を準用して現場レベルの運用方針を定めた「自衛隊原子力災害対処計画」の見直しを検討している。

 北沢俊美防衛相も原子力災害などに対応するための装備の充実や運用の改善の必要性について訴える。放射能濃度が高い危険地域でも活用できる無人機やロボットを自衛隊に配備し、運用できるように日常的に訓練することも検討する。

❷ 「阪神大震災新潟県中越沖地震などでの教訓をもとに、自衛隊の震災対応は大きく変わったが、輸送と通信の面では課題も残った」。防衛省自衛隊の幹部らは一様にこう語る。

①今回の震災対応では北海道の陸自部隊を民間の船舶を活用して被災地に派遣した。「海自の輸送艦の能力にも限界があり、一方で民間の船でも津波警報が解除されるまでは被災地に直接入れなかった」と自衛隊幹部の一人は振り返る。有事対応でも同様の問題が起こると指摘する声は多い。

② 通信の面でも陸海空3自衛隊が現場レベルで情報を円滑に交換できたわけではない。今後は防衛省自衛隊独自の通信ネットワークの強化が必要となる。

③「物資があるのに必要なところに届いていない」。こんな声も被災地のあちこちで上がった。地震津波防災無線や携帯電話の通信機能がまひし、自衛隊と警察、消防、自治体、電力会社との連携も課題となった。(小嶋誠治)

 1976年(昭和51年)防大卒、陸自入隊。2度の米国留学を経て人事部長、第8師団長。09年東北方面総監。震災後、統合任務部隊の指揮官を兼任。神奈川県出身、58歳。陸自トップの火箱芳文陸上幕僚長の後任に内定。

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