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憂鬱な日本に住む憂鬱な僕


あけましておめでとうございます。
憂鬱です。
軍事、インテリジェンス、憲法改正、日米支配層のことを考えれば考えるほど、憂鬱です。


米国支配の構造を肯定、追随、援助する日本の新聞(読売新聞  2016・1・1)

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大事なのは
米主導の秩序…………だそうです。
 

米主導の秩序をどう維持するか?
これが、日本のテーマだそうです。f:id:pikoameds:20160104145054j:image


⭐️一番憂鬱な記事の一つは、陸上自衛隊高等工科学校の記事。(産経新聞1月1日)⭐︎

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『横須賀・陸上自衛隊高等工科学校 親元離れ、厳しい寮生活 15~19歳が抱く国防の志』

神奈川県横須賀市に、将来陸上自衛隊の中核を担う人材を養成する陸自唯一の学校がある。中学を卒業後、親元を離れた15~19歳の生徒が寮生活で卒業を目指す「陸上自衛隊高等工科学校」だ。同校の教育は普通科高校と同様の内容に加え、電子工学などの専門教育や武器訓練などの防衛基礎学を修める厳しいものだ。「パイロットになりたい」「人を助けたい」-。さまざまな志を胸に、生徒らは過酷な3年間を仲間と支え合いながら、知・徳・体を磨き乗り越えていく。(岩崎雅子)

【コメント】
軍事知識と軍事訓練に明け暮れる日々。
そして⑴下士官候補、⑵幹部への道、最後は陸将。そして、軍の運営の一環としてのスパイ活動で事実上の更迭の渡部富士学校長のような道か。それが、どこが美しいのか。
若き記者・岩崎雅子さんは産経新聞に入社して一年くらい。分かっているのか?

まず、銃の貸与式。
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そして富士学校で観覧する軍事訓練  16歳、17歳の少年
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前に少年工科学校っと言ってた時代がありました。

訓練で死にました。
1968年のこと。
13人死亡。水死。

引用させていただきます。
(以下引用)
毎年今頃になると思い出す悲しいことがある。

それは1968年(昭和43年)7月2日の陸上自衛隊武山駐屯地内の少年工科学校、”やすらぎの池”における渡河訓練中の水死事故のことだ。少年工科学校に関係した人は誰でも知っているはずだが、随分時を経たので自衛隊関係者でも全く知らない人も多いと思う。一般の人ならなおさらだろう。
 
この事故で12期生(当時3年生・17歳~18歳)13名が亡くなった。
 
事故の発生した場所が”やすらぎの池”とはなんという皮肉だろう。
ここは元は平地だったのだが少年工科学校に隣接する航空自衛隊武山分屯基地のミサイル基地の掩体を造成するための土砂を掘ったところに水が溜まってできたもの。
そして事故のあと埋められて無くなり、「少年自衛官顕彰之碑」が建てられている(慰霊碑ではない)。
 
この渡河訓練は少年工科学校における一般的な戦闘訓練の後に臨時に行われたという。
これは推測だが、渡河訓練は”やすらぎの池”があったために行われたわけだ。
その後行われなかったということは、少年工科学校においてはやらなくてもよかった訓練と言えなくもない。何故そんな訓練が安全対策も十分取られず実施されたのだろう?
 
亡くなった生徒はその後殉職扱いで2階級特進、1等陸士から3等陸曹になったそうだが、生きていれば1年8ヶ月後には3等陸曹が約束されていた生徒には慰めにもならないと思う。
 
合掌して『安らかに眠られるよう祈る』ばかりである。
 
”やすらぎの池”のあったころの少年工科学校の写真が載っている桜友会(少年工科学校OB会)の
ホームページリンク先を以下に記す。
 
  桜友会ホームページ、昔と今(をクリックすると遷り変り写真集が出る)
 
下記に事故の内容を報告した当時の国会の議事録を掲載する。
 
当時の増田国務大臣防衛庁長官)の国会での報告内容(抜粋)
 
  去る七月二日発生いたしました陸上自衛隊少年工科学校生徒の訓練事故において、前途ある純真なる少年生徒十三名のとうとい犠牲者を出しましたことは、まことに遺憾にたえませんことをここに表明いたします。この事故について、その概要を御説明申し上げます。

 少年工科学校三年在学の生徒の一部七十八名は、七月二日午後一時から、同校内において、当日の先任教官田村一尉の指揮のもとに教官高林二尉及び助教四名の指導により、雨中、野外の戦闘各個訓練を実施していたのでありますが、田村一尉は午後二時ころ、臨時に、同校内のため池、通称やすらぎの池を川と見立てて、夜間の渡河動作訓練を行なうことを決心し、午後二時三十分ころ渡河を開始したのであります。

 そのときの生徒の服装は、作業衣に弾帯をつけ半長靴をはきM1ライフル銃を背負った姿でいわゆる乙武装であり、隊形は池の西側寄りに南北に展張したロープを境に東側に三区隊の主力、西側に四区隊の主力がおり、北側の岸辺に蝟集しておりました。生徒は田村一尉を先頭に、やや蝟集した隊形のまま池の北側から一斉に水に入りました。そして先頭グループが池の中ほどに達したころからおぼれる者が出始め、生徒の相当数が中ほどに差しかかったとき、おぼれる者がふえ、泳ぎに困難を感じて北岸に引き返そうとする者、近くの西岸に泳ぎ着こうとする者、ロープ伝いに岸へたどり着こうとする者等が続出したのでございます。

 教官、助教は事態の重大さに驚き、直ちに岸にいた者に溺水者の救助の指示するとともに、みずからも池の中に入り救助活動に全力をあげました。訓練実施部隊を主とするこの初動救助活動により、事故発生後五、六分でおぼれかかった八名をはじめ、水没直前にあった生徒二名が救助され、水没直後の一名が発見されました。その後急を聞いてかけつけた副校長をはじめ学校幹部、教官、生徒等が逐次事故現場に到着し、海上自衛隊横須賀地方隊の水中処分隊員の応援も加え、総勢約五百名をもって救助活動を続行し、午後四時二十五分ころまでにさらに濁水者十二名を逐次発見、これらの者について直ちに医官、職員、生徒による人工呼吸、注射等の応急措置を行なった後、病院に後送してさらに手当を加えたのでありますが、そのかいなくついに生徒十三名が殉職いたしたのでございます。(以下省略)
 
なお、全文は下記に掲載されている。
第059回国会 内閣委員会 第4号
 昭和四十三年八月二十三日(金曜日)
(転載終わり)


【少年工科学校の出身者】
橋守 - 画家。陸上自衛隊生徒第4期
江藤小三郎 - 思想家、社会運動家憂国烈士(生徒第7期)
高橋亨 - 元海将海上自衛隊航空集団司令官(生徒7期→神奈川大学
小川和久 - 静岡県立大学特任教授、国際変動研究所理事長、軍事アナリスト(生徒第7期⇒同志社大卒)
神浦元彰 - 軍事ジャーナリスト(生徒12期中退)
三淵啓自 - デジタルハリウッド大学教授(生徒→防衛大学校スタンフォード大学院にて博士号取得後、米オムロン研究員を経て現職)
筒井信雄 - 兵庫県議会議員(生徒27期中退。のち大阪大学工学部卒。民間企業、西宮市市議を経て現職)
中村ケイジ - 作家、歴史群像大賞奨励賞受賞(生徒25期、大阪工大中退、同志社大
若宮清- ジャーナリスト 早稲田大学社会システム工学研究所客員教授
渡会正純- 生徒9期。作家。
駒澤大学大学院修士課程修了。曹洞宗宗学研究員、東邦音楽大学非常勤講師、大本山総持寺祖院副寺兼講師)
樋山周造 - 元陸将・西部方面総監(第25代・生徒3期→防大8期)
宮﨑悟介 - 元陸将補・中央業務支援隊長(第3代・生徒10期→中央大学
廣瀬清一 - 元陸将・陸上自衛隊幹部学校長(第32代・生徒9期→防大17期)
武田正徳 - 元陸将・第1師団長(第30代・生徒12期→法政大学通信制
酒井健 - 元陸将・北部方面総監(第31代・生徒13期→防大19期)
佐藤修一 - 元陸将・第2師団長(第30代・生徒13期→防大19期)
加瀬静夫 - 元陸将補・陸上自衛隊警務隊長(生徒14期→防大20期)
小原繁 - 元陸将補・第1高射特科団長(生徒14期→中央大学商学部
安部隆志 - 元陸将・補給統制本部長(第9代・生徒15期→防大21期)
千葉徳次郎 - 元陸将・北部方面総監(第32代・生徒15期→防大21期)
山形克己 - 元陸将補・末代(第24代)少年工科学校長及び初代高等工科学校長(生徒15期→防大20期)
井上武 - 元陸将・陸上自衛隊富士学校長(第39代・生徒16期→防大22期)

渡部博幸 - 元陸将・第11旅団長(第5代)→陸上自衛隊富士学校長(生徒19期→國學院大學

富樫勝行 - 元陸将補・第12旅団長 自衛隊情報保全隊司令(第3代・生徒20期→防大25期)
小和瀬一 - 陸将補・第4代高等工科学校長(生徒24期→東京理科大学卒)
玉尻聖 - 少年工科学校、立命館大学卒。大阪府協同組合専務、大阪市団体理事
木皿昌司 - 少年工科学校、日本大学卒業後、アクサ生命執行役員
澤田直宏 - 少年工科学校卒(生徒15期)、創価大学卒、弁護士事務所所長
尾崎定幸 - 少年工科学校(生徒12期)、北海道大学法学部卒、弁護士、弁護士事務所所長