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「陸上自衛隊高等工科学校」入校を考えている君に。

陸上自衛隊高等工科学校」について僕の意見を卒直に書こう。

僕の父は大正14年生だ。
僕の父の家は、貧しかったそうだ。あるきっかけで祖父は、戦前、一時いまの浅草界隈で「連れ込み宿のようなもの」を始めたという。少しだけ利益がでた。生活が少しだけ助かった。
それまで叔父の家に預けられていた父は、東京に呼び戻された。そして旧制の中学校に入れた。

戦前の旧制の中学校は五年制だ、そして四年次になった。
その時、「それ以上の上級学校に行かせるのは無理だ」と父親(僕の祖父)に言われたという。

しかし、「官費の学校なら大丈夫だ、行ける」、と周りに勧められたのが、陸軍士官学校
四年次には、「身体薄弱」ではねられた。
五年生の時、陸軍士官学校に合格、入校。
陸軍士官学校の60期生になった。

すぐ敗戦。敗戦の時、二十歳。
航空士官学校にいて、たまたま区隊長の判断よく朝鮮半島を抜け満州から逃げ帰って来た。帰って来る船が舞鶴の機雷に接触するが、なんとか帰って来た。

その後、警察予備隊、保安隊、陸上自衛隊で勤めた。自衛隊員(自衛官)だった。

父親は、官費の学校に入るしかなかった、といつも言っていた。
僕には言い訳のようにしか聞こえなかった。逃げの人生、と思った。

いま、考えるとその道しか なかったのかも知れない。

僕が、小学生の時、父親が自衛官だというので、嫌な思いが多かった。
日教組社会党を意識した。春闘での官公労のストを意識した。
平和教育を意識した。憲法九条を意識した。
長沼ナイキ訴訟を知った。…………。

父親は、定年になった。
憲法九条に守られ軍事紛争に巻き込まれなかった。

父は官費の学校にしか行けなかった。
そして、軍に生きるしかなかった。

僕が、小学校五年生の時、1968年(昭和43年)7月、当時の「少年工科学校」で13人の生徒が死亡した。
夜、7時のNHKのニュースで見た。いまでも覚えている。衝撃だった。

僕とたいして年齢が変わらない人たちが、自衛隊の訓練で死んだ。確か、池でレンジャーの訓練をしていたはずだ。水死。
無理な訓練をした。
少年に無理を課した。

父は、少年工科学校と防大自衛隊だけはよせ、といつも言っていた。
政治家のオモチャだ。本当に日本人を守れない。守らない。
ある時、ウチの近所の自民党の県会議員の秘書がウチに訪ねて来た。
その県会議員のボスが防衛庁長官に なった。その防衛庁長官に紹介するから、支援してほしいという申し出だった。父は断った。防衛庁長官自民党の政治家を支援、守るためにいるんではない、と言って、喧嘩になった。
その時、僕は自民党の政治家の愚かさ、愚劣さ、自己満足、を見た。


軍の本質は、意に反する行為をさせることにある。武力紛争で個人の自由意思が通じないのは当然だ。
では、個人の自由意思に反してでも従うべき意味があることは何か。
いまの「国」を守ることに意味があるのか。
僕は日本国憲法の下で保障された人権大国日本ではない、為政者が国民の自由権生存権を守る状態の「くに」ではないと思う。
守るに値する「くに」にしよう。そのなかで、軍事を考えよう。

米国に従属し、労働者、勤労国民の利益を踏みにじる「くに」の兵士に なるのはやめよう。人権大国と言うに値する「くに」を作ろう。
官費の学校に入るのは、いまは、やめよう。「くに」をよくすることを考えよう。人権大国にしよう。
人権大国にするために戦おう。
そして、陸上自衛隊高等工科学校防大はやめよう。軍事の本質は、武力衝突のときに人を殺し、殺されることだ。人生を別のことに使おう。もしどうしても、というなら、軍(自衛隊)の改革を進めよう。国民の軍、国民のPKOにしよう。平和創造隊にしよう。