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《シベリア出兵》…他国に出兵するとはどういうことか。

「シベリア出兵」の記録や「イラク派兵」から《他国に出兵することの意味》を再度研究しておく必要があると思います。
その参考として記録しておきます


『シベリア出兵の史的研究』
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【著者】
細谷千博(ほそや・ちひろ)
1920年生まれ.国際大学名誉教授,一橋大学名誉教授,日本学士院会員.編著書に,『ロシア革命と日本』(原書房),『サンフランシスコ講和への道』(中央公論社),『日米関係通史』(東京大学出版会),『記憶としてのパールハーバー』(ミネルヴァ書房)など多数ある.

https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/6001370/top.html

【内容紹介】

無名の師。そう呼ばれた派兵は日本の歴史的転換点となった。革命下のロシアを舞台に帝国主義列強の権謀が渦巻く。義を標榜する侵攻は,やがて来る日米破局の淵源をなすにいたる。アメリカとは日本にとっていかなる存在なのか.今日の日米関係を考えるうえで示唆に富む例証がここにある。

第一次大戦も終わり,多国籍軍も解体した状況下で,いったい日本はなぜシベリアへの単独出兵をつづけるのか,何が目的なのか,駐兵の大義名分はどこにあるのか,といった根本命題について,内外から疑問がつきつけられていた。

 そして現地の状況を見ると,日本軍の守備する鉄道がしばしばパルチザン部隊の破壊攻撃をうけ,反撃した日本軍が襲撃分子を追尾,逃げ込んだ村落に焼き討ちをかけるといった種類の事件が頻発,無辜の住民に多大の犠牲を生んでいた。
加えて,日本軍の威をかる反過激派のコサック兵も悪事の限りをつくし,怨嗟の的となっていた。このように住民を敵にまわした「人民戦争」を極寒の地で戦い,夥しい人的犠牲と莫大な戦費を,連合国との共同出兵とそれにつづく単独出兵の二年半余ものあいだ払いつづけ,そこで得たものといえば,シベリア住民の日本に対する憎悪と悪感情であった。

 日本軍のシベリアからの撤退を求める声は,現地ではもとよりのこと,国際的にも,また日本国内でもリベラル派の言論人や野党陣営の中に次第に高まってゆく.「無名の師」と指弾されたシベリア派遣軍が,ついに撤退に踏み切ったのは,1922年10月末であった.

 シベリア出兵の歴史は,日本軍部にとっては失敗の記録であり,戦前はその研究はいわばタブー視され,この戦争において日本が対外選択面でおかした誤りや軍事行動の醜悪な一面に究明のメスを入れることは少なかった。
しかしこの戦争は,次の世代にとって学ぶべき教訓を実に多く含んでいる。たとえば,シベリア出兵の歴史について深い知識をもつ軍人であれば,日中戦争の際,それを活用し,反省の材料にしえたはずである。
いったん派兵すると,撤兵がいかに困難な業になるか,シベリア出兵の際の単独出兵の歴史がこれをよく物語っている。太平洋戦争に突入した1941年,戦争の回避をもとめた日米交渉も,中国からの日本軍の撤兵問題で難航,ついに暗礁に乗り上げ,戦争となった。
 さらにいうと,シベリア出兵の歴史に含まれる教訓は,今日のイラク戦争を考える上でも役に立つはずである。【あとがきより】