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防衛研究所に行ってみよう‼️

これからしばらく軍事施設めぐりをしたいと思います。
まず、第一弾として、防衛省防衛研究所に行ってみましょう。

東京・目黒にあります。
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Web上でもいけます。

まず、入り口🚪。

大事なのは、《安全保障研究》。
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《戦史研究》……。
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《国際交流》

さらに《フォトニュース》。
……韓国との研究、交流が多くありました。
実は、日韓軍事交流がこんなところでもやられています。


日本の軍事についての様々な研究がなされ、その「結果」について公開されています。
軍事学というと警戒の目で見られます。
昨年、東大で軍事学研究が公認される、というニュースが流れました。
さっそく、いろんな反応がありました。
結局、総長名で、現時点では、やらない、という結論でした。

確かに戦争を推進する学問、どう「敵に勝つか」研究する学問、という面はあります。
しかし、一般的な戦争の原因、あるいは、かつての帝国主義戦争、日帝支配層の失敗、ベトナム戦争、今後のサイバー戦争を研究し国民に返す作業を要求します。

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東大「軍事研究認めない」 「解禁」の一部報道を否定
2015年1月16日21時29分

 軍事に関わる研究を禁止している東京大学で、大学院の情報理工学系研究科が昨年12月、「科学研究ガイドライン」を改訂したことが分かった。「一切の例外なく軍事研究を禁止する」という文言を削除し、「成果が非公開となる機密性の高い軍事を目的とする研究は行わない」と追加した。これについて一部の報道機関が16日に「軍事研究を解禁」などと報道。東大は同日、「報道内容が間違っている」と否定した。

 東大によると、このガイドラインは同研究科の学生向けに2011年に作られた。改訂について、広報課は「誤解を招いたようだが、軍事研究禁止の方針はこれまでと変わらず、一部でも認めない」と説明した。「今後は個別の研究を確認し、軍事目的の研究と判断すれば研究を認めない」としている。

 改訂を受けて、複数の報道機関が「東大が方針転換した」「一定程度、軍事研究を行えることになる」などと報じた。東大は、研究科に対し、「誤解のない表現を工夫するよう伝える」という。


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東京大学    東洋文化研究所    松田 康博 (MATSUDA Yasuhiro, Professor / 汎アジア研究部門 教授)
「中国・台湾論」の研究者で元防衛研究所職員

Q 職歴を見ると、慶應義塾大学の在学中に防衛庁防衛研究所に就職されていますよね。これは何かきっかけがあったのですか?

 A 僕は24歳で結婚したんですよ。だから大学院生の中で、僕は生活に困っている人ナンバーワンだったんです。すると指導教授の山田辰雄先生が防衛研究所の公募を紹介してくれたので、何も考えず即答で「受けます!」と(笑)。外交官試験の勉強をしていたお陰で、なんとか試験に合格しました。 

  当時は冷戦が終わったばかりで、防衛研究所は閑古鳥が鳴くようなところだったんです。だから、ラッキーだ、自分の研究が出来ると思って(笑)。

ところがその2年後、日本国在香港総領事館専門調査員として香港に行ったところ、台湾海峡危機が起こったんです。当時台湾は民主化の最終段階で、総統の直接選挙をやろうとした時に、中国が武力を使って台湾を脅したんですね。

そこで日本も周辺有事に対応出来るような態勢を作る必要がでてきて、「周辺事態法」などの法律を数年の間に作ってしまったんです。僕を含めた防研の研究者も急に忙しくなってしまって(笑)。僕の2つ目の専門領域である「中台関係を主とした東アジアの国際政治」は、自分の専門は台湾なんだけど、中国研究者として採用されたので、じゃあ中台関係の研究をしようという軽い気持ちで始めたんですね。でも突然台湾海峡危機が起こったせいで、突然テレビの取材は来るわ、講演会の依頼は来るわで、防衛庁教官という肩書きもあるし、軍事のこと聞かれて「知りません」とは言えないでしょ(笑)。だから一生懸命勉強したんですよ。それで日本の政策のこともいろいろ分かってきて。 

そして帰国してしばらくしたら防衛庁防衛政策局防衛政策課研究室というところに1年間放り込まれたんですよ。するといきなり4ヶ月で政策文書を書けと言われて。だから毎日終電で帰宅するはめになり、子供がまだ小さかったから家内には怒られるし(笑)。でもそのおかげで、日本の外交・安全保障政策と日中の安全保障関係も僕の3つ目の研究分野になりました。 

  その後、ハワイとワシントンDCに客員研究員として行ったんですけど、まだその時は博論が終わってなかったんです。しかも英語で研究報告したり執筆したりできるようになる必要がありました。みんなが楽しく遊んでるワイキキを横目に毎日14、5時間勉強しましたね。シベリアの方がまだましです。発狂するかと思いましたね(笑)。それでやっと英語で仕事ができるようになり、博士論文も書き終わったら、今度は内閣官房(安全保障・危機管理担当)に飛ばされて。

―― 先生の人生は本当に波瀾万丈ですね(笑)。

  その苦しい中で書いたのが『NSC国家安全保障会議—主要国の危機管理・安全政策統合メカニズム―』という編著です。日本を含めた8ヵ国・地域の国家安全保障会議の比較研究で、日本も内閣レベルでしっかりと政策統合をすべきだという見方を打ち出しています。僕の博論ですけど、役所勤めをしたせいで遅れて『台湾における一党独裁体制の成立』という題名で2006年に出版しました。でもこんな生活ずっと続けていたら死んじゃうなと思っていました。研究を諦めるか、死ぬまで頑張るかのどちらしかないと。するとたまたま翌年賞をいただいたんですよ。人生にはいいこともあるなと思って(笑)。同時に思いがけず、こちらの東文研に来ませんかという話がありまして、即答で「行きます!」と答えました。それがちょうど4年前のことです。 
  だから僕の研究は自分で作ろうと思って作ったものではないんです。状況に置かれたから出来たもので、やっていることが本職になったんです。でもおかげで自分のフィールドが広がりましたし、国家機関の中で働いている人達がどういう発想で仕事をするのか、あるいは公文書というものがどのような状況下で作られるのかといったことを理解する上で、とても役に立ちました。歴史研究、現状分析、そして政策研究はそれぞれ相互補完的なものだと思っています。


1950年代末に台湾側が風船につけて中国大陸に飛ばした安全證。 これを持って台湾に亡命すれば身の安全を保証してくれる。

―― それは実際の現場で多くの経験を積んできた先生にしか出来ない研究ですね。台湾を研究する面白さとはどのようなことですか?

  台湾は「例外」なんです。経済発展に成功し、独自の領域、通貨、軍隊を持ち、国家としての体裁をほぼ完備しているのに、世界のほとんどの国と外交関係がないんです。国連を初めとした多くの国際機関から排除されていて、国家として認められていないんです。この「例外」を研究すること


略歴
1965.11 生
1988 麗澤大学国語学部中国語学科卒
1990 東京外国語大学大学院地域研究研究科修了
1997 慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学
1999 防衛庁防衛研究所主任研究官2003 博士(法学)
1994-96 在香港日本国総領事館専門調査員(香港)
2000.1-6 アジア太平洋安全保障研究センター客員研究員(米国ホノルル)
2000.6-9 ヘンリー・L・スティムソン・センター客員研究員(米国ワシントンDC
2001.6-8 台湾綜合研究院第4(戦略・国際関係)研究所客員研究員(台湾台北
2005.7-8 銘伝大学伝播学院にて共同研究(台湾台北
2006.8-9 米国アジア協会にて客員研究(米国ワシントンDC)
2007 防衛省防衛研究所主任研究官
2007.7 復旦大学国際関係研究院日本研究センターにて訪問学者(中国上海
2008 東洋文化研究所准教授
2010.8-2011.8 米国・コネティカット州:イェール大学にて客員研究(Todai-Yale Initiative派遣教員)2011.12 東京大学東洋文化研究所教授2012.4 東京大学大学院情報学環教授