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日本国憲法の"こころ"

今日は日本国憲法の基本原理について書こうと思います。
自由、民主、平和。これらが日本国憲法の基本原理です。
これらがいわば、日本国憲法の"こころ"です。

僕はただの市民です。ただの市民がこれらの原理、つまり日本国憲法の"こころ"について、どう感じ考えているか、を書きます。いま手元に「憲法の本」は置いていません。その状態で自分が憲法とその大事な原理、憲法の"こころ"を話せるか………。お読み頂ければ、幸いです。

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個人と個人との間にはどうしても社会的地位おいて「優劣」が生じる。「決める人」と「決められたことに従う人」がでてきてしまう。その関係性をどう打破し、対等・平等の関係性を作り、幸せ・自由を感じられるようになりたい、………。この夢は、きっと誰もが願うこと。

ただ人の中には、自分(自分たち)だけが、決定権を持ちその決定を実現したいと願う人々がいる、………と感じます。「その人々」が「政治権力」「社会的権力」を握ったら、その人たちはなにを考え実践するか?その人たちは自分(たち)の「思い通り」に決め、それを実行します。ただ、「ヒトの目」(社会的制約)がありますからその観点から、その人々たちも抑制します。

現代社会の基本は、資本主義のもとでの所有(特に生産財の所有)こそが基本です。
その社会関係の当否は別にして、所有している者(集団)にその社会関係における決定権があります。

まあ、当否は別ですが、会社の社長でご自分が苦労してお金を集め事業が「たまたま」「才覚があったために」うまくいった。上場企業になった。事業を拡大した。ヒトを雇う。「雇ったヒトを」思う通りに「使い」たいですよね。法律上その資本所有と運営の自由を許す仕組みになっている。周りの人たちの意識もそれを許している。いくら社会的責任(ヒトの目・社会的制約)があると周りが言っても、その方は、自分の思う通りに事業を運営したいですよね。

この仕組みが社会レベルで運営されるとするなら、そして、法規範として存在しその仕組みがヒトを強制するとしたら、資本所有している者が全て自由に決められる。
こう言うと、実際は違う。法律の規制がうるさくて会社の運営は自由にできない。何にも知らないんだね、お前は。って言われること、必定です。
ただ原理がこうなっているということは、是非押さえる必要があります。原理原則に従って、その変容(バリエーション)で物事は運営されていますから。
僕は所有が人間の関係性の根本を決定していると思います。その中で、支配・被支配の関係性が決まる、と考えています。


この状況の中で憲法がどう役に立つか。憲法の言う「自由」に意味があるのか?
答えは、ある、です。正確に言えば、あると思いたい、意味あるように憲法の規範の意味を実践する。ということです。

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憲法は、もともと、王権の権力を規制する規範でした。
いろんな歴史的背景から、その規制の仕方、規制の理由は様々です。
例えば、人身の自由なんて、当たり前のようです。しかし、ホントに当たり前か。ギロチンや魔女狩りや炭鉱労働や……。「初夜権」や。………。それらに対抗してきたのが、《自由》の概念。
日本語だと、《自由》と言ってしまいますが、大事なことは、《free from〜》です!つまり、《〜からの》自由なんです!。くびきからの《自由》なんです。

政治権力からの《自由》、政治権力がかってに決め、かってに執行することからの《自由》が元々の考え方であり、実践でした。

さて、これを資本所有に対して、どう主張するか?
次回、続きをお話させてください。(ここまで1590文字です。)(2016・2・18(木) 05:30記)

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《追記》
「自由」という言葉で、Google画像検索してみました。
意外なことに「自由民主党」のロゴみたいなものはでてきませんでした。「電力自由化」というのが出てきたのには、チョット、吹きました(笑) 。
そうそう、あと「 自由の女神」、「自動車学校の自由プラン」。  (AM05:40)

結局今日は僕のイメージに合う画像は見つかりませんでした。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
また、次回。