彼岸・防大・自衛隊〜平和憲法を活かそう

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「村」の忠霊塔から見た山、村の様子です(3月21日)。
一番下に忠霊塔の写真を載せました。

お彼岸です。
お彼岸にお墓参りをするようになったのはいつ頃からなのだろうか。
お彼岸は追善供養の日になっている。浄土宗に由来する、というようなことが書かれているものもある。しかし、例えば親鸞を始祖とする浄土真宗は追善供養をするのだろうか。親鸞の思想・仏道に従えば、しないだろう。お墓は祖先を祀るものではないからだ。

お彼岸は、追善供養の日でもなく、ただの休みでもなく、しかしこの二つの日はとても大事な日だ、と私は思っている。
    春分の日   春分日 自然をたたえ、生物をいつくしむ。
    秋分の日   秋分日 祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。


私はこの二つの日は、日本と日本列島、そしてこの大地にもともと生きていた先住民族アイヌについても思いを及ぼし、ここに至った自らを振り返り、今後の自分と日本を感じ考える日にしたい。私はこの間そうしてきたつもりだ。
私の父は陸軍士官学校を経て朝鮮半島で敗戦を迎え、昭和25年警察予備隊(陸上自衛隊)に入って定年まで勤めた。既に亡くなった。私の父は一時防大の教官をしていた。当時、防大の学生と一緒に共産党宣言、社会契約論などを読んだという。岩波文庫が私の父の本棚にあった。
3月22日は、防大卒業式、任官式だ。報道によれば、419名の防大卒業生のうち任官拒否者が47名出ると言われている。卒業生の一割以上だ。防大入学者で途中、止めたものも相当数いるはずだ。途中退学者とこの任官拒否者の数は少なくない。

父は、北海道帯広と札幌の部隊に勤務したことがあった。

父は、私に少年工科学校と防大にだけは入るな、といつも言っていた。視野の狭い軍人バカになるな、東條のような狭い人間が首相にまで上り詰める、そんな軍人の中に絶対に入るなと言われてきた。
自衛隊の中ではいつも自衛隊(軍)の方向性をめぐって議論になっていたようだ。小学生の頃、お彼岸にサマーランドに父とその同僚と行った覚えがある。帰りに父親の上司(旧陸大卒)の家に行って父親と上司とが大ゲンカになってよっぱらて帰ってくるのが大変だった。旧日本軍の総括と失敗を振り返り少しでも憲法適合的であろうとしたグループと戦争の教訓を汲み取らず軍事バカな連中との路線闘争だった。だいぶ後になって聞いた話だ。その中で三ツ矢事件。また三島由紀夫をチヤホヤし自衛隊体験入隊させ、富士学校で便宜を図り市ヶ谷で自決させ、蹶起を呼びかけさせておいて、自分は最初に逃げた当時の中曽根康弘防衛庁長官。そういう人たちを私は私なりに父を通して見てきた。さらにベトナム戦争、大人になって「社会主義中国」の民族主義的傾向の発露よるベトナム侵略戦争、最近のアジアだけでも国家間の紛争が軍事闘争になった例はたくさんある。もちろんソ連自衛隊の軍事活動の目標だった。

ある人が、軍事評論家になりたかったと書いていた。軍事評論家は自衛隊出身者が多い。少年工科学校、防大を出ている。彼らには意図がある。もしなるなら評論家でなく軍事行動をしろ。真似ごとでも。水筒を持ち兵嚢を担いで。それでもやれるなら、いい。軍事行動は、大変だ。やめておけ。私はやりたくなかったから、そんなところに入らなかった。
最近では軍事活動、自衛隊が大手を振っている。好ましくない傾向だ。自衛隊はひっそり、肩身が狭いくらいがちょうどいい。国を守るなどという得体の知れない観念を振りまき祖国防衛などと言わないほうがいい。自然を讃え生き物を慈しみいくさ人を悲しむがいい。もっともそれを慈しむために「国防が必要だ」と言うのだろうが。

お彼岸に言いたいことはただ一つ。憲法9条の道、平和と平和共存の道に帰ろう。

地域の忠忠霊塔をupします。
この村から日清・日露・大東亜戦争に出征し帰らなかった方々、戦死者を悼みます。

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〈私の参考記事〉
? 自衛隊の真の危機
?自衛隊、募集の危機
?海上自衛隊の危機
 ?少年工科学校