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熊本地震と軍隊(自衛隊と米軍・韓国軍)

1    人間・社会(=人間の共同体)には人類性・共同性と階級性という二つの性質がある。その二つの性質のうちで本質的なものは人間の類的性質=人類性・共同性だろう。こういうことが歴史に示されていると私は考えている。そして人間が作りだした国家およびその一部である武力(暴力)装置たる軍隊にも、両者の性質がある。以上が今回の熊本地震で、私自身が改めて考えさせられ学んだことだ。

 
2    四月十四日夜、熊本地震が発生した。直後に自衛隊が初動出動した。当然、他の国家機関(警察・消防・海上保安庁)も動員され被災者の人命救助、最低限のインフラ通信網の確保、その他の治安維持活動が開始された。さらに物質の搬送・通信網・交通手段の確保という社会秩序維持・国家機能の維持確保が図られた。「平成28年熊本地震災統合任務部隊」が作られた。つまり〈国家〉により広義の治安維持活動が行われている。その後、米軍が「〈トモダチ〉作戦」の一環として沖縄にあるオスプレイで物資の搬送、韓国軍による韓国からの物資搬送が行われた。現在も自衛隊による人命の救出作業、物資の搬送、インフラの復旧・回復作業が継続されている。
 
3    この熊本地震に際しての一連の国家権力の動き、それを伝えるメディア(情報機関)の流れをどう理解するか。また2chなど情報操作要員はどう動いているか。
 
   (1)  この熊本地震は自然法則からすれば、必然である。起こるべくして起きた。しかし人間にとっては、この地震発生について一定の予測をしていても、このタイミングこの場所で起きるということについては予想外だ。この地震はその意味において共通の『驚き』であり『ショックで』あり、『有事』だ。
 
   (2)  〈日本国家〉を〈支える〉日本支配層や自衛隊幹部の諸君がこの地震の社会的意味をどのように把握しているか、現時点では、私は公式の文書で確認していないのでなんとも言えない。しかし彼らがこの地震後の事態を「有事」と把握しているのは過去の彼らの言動・文書から推測できる。また右派(チャンネル桜などの国家主義傾向の鮮明な諸君)の情報やブログを読むとこの事態が「有事」である、という認識を共通して持っていると言っていいだろう。ここでの彼らにとっての「有事」とは 何か。私の理解では、彼ら(日本支配層・追随層)はここでも「〈社会〉秩序」や〈国家〉の権威が侵害されることと捉えているように思われる。
 
   (3)   したがってこの「有事」に際して、有事から平時に回復を図る目的で、彼らの予定通り〈日本国家〉の国家機能の総動員が図られた。それが上記の自衛隊その他の治安機関、NTTなどの情報インフラや電気・水道・ガスなどの生活手段確保、道路の確保の意味だ。(なお、今回の動員は「全力動員」ではない。なぜなら、熊本という地域的なもので福岡という九州の中核部分でも東京という〈日本国家〉機能のある総本山でもないからだ。「周辺と中核」理論からすれば、彼らにとって熊本は周辺部分でありそこでの地震だからだ。)。
さらに米国・韓国という「友好国」からの軍事手段を使っての支援も、当然に予定通り行われた。従来から予定されていた通り、中国・北朝鮮に見せる軍事行動(抑止力という名の行動)を行なった。
 
    (4)   一連の国家による救助、自衛隊・米軍・韓国軍の動きの意味を私はどう考えるか。
私ははじめ、オスプレイでの米軍による物資の輸送作業や韓国軍による物資搬送についてこのブログで書こうかと思った。オスプレイの危険性や米軍や韓国軍のドサクサ紛れの「支援」が東アジア(中国、北朝鮮)の動乱の際の予行演習の一部であることは客観的には明白だ。支配層の新聞・読売新聞の社説は否定しており「憶測」だと述べている。しかし客観的には軍部の行動だ。そしてこの軍部の活動の本質をどう捉えて評価するか。それが重要だと思う。
 
    ❶  私自身、地震とその後の人間生活、共同体の破壊は『有事』であると規定できると思う。ここで『有事』とは普通の人間の類的生活ができなくなるという意味だ。命が突然、奪われ消え、怪我をし、さらに生産・生活ができなくなるという事態だ。悲しみも苦しみも深いだろう。人民の苦しみだ。庶民の災厄だ。国家的利益・今の主要な勢力の危機ではない。個人としての人間、類的存在の人間の困難さが生まれるということだ。その困難を救助する必要がある。急いで。急いで!涙とともに。急いで。これが私の根本態度だ。
 
    ❷  その上で、私は自衛隊の国家機関性とその活動そのものを否定しない。なぜなら自衛隊(=軍隊)も含めた国家機関の活動は人間の類的存在を確保する性格を一面で持っているからだ。軍隊は一面で人間の共同体を維持し共同生活を確保する手段だからだ。
同時に軍隊(=国家)は階級性を持っている。当該社会のリーダー的存在(生産財の所有に基礎付けられ社会を実質的に運営して同時に主要な経済的・社会的利益を確保する人びと・グループ=支配層)が実在しその勢力が政治的(つまり広義の利害調整)決定と実践をする。この際に軍隊は暴力・武力装置と化する。支配層の支配維持の梃子・手段だからだ。支配層の意向に反する勢力を鎮圧・抑止する装置だからだ。支配層の階級性を反映するものだからだ。
 
    私は何度か、このブログで書いているが、自衛隊地震対応は軍事行動そのものである。人命の救助、物資の輸送、インフラ通信網の確保回復は軍事活動そのものだ。当然、その性格には二面性がある。

    一面は人類性・共同性だ。共同体や共同生活を確保するためだ。だが、同時に自衛隊の主要な目的はこの社会のリーダー的存在である支配層の勢力の社会的利益・階級的利益の追求維持にある。

 
     ❸  東北地方で地震が起きたとき、自衛隊が「活躍」した。人命救助をした。津波に対応した。原発に向けてヘリで「蝉のションベン」をかけた。隊員は努力した。だからその「努力」に対して庶民も「感謝」した。その「感謝」は自衛隊の軍事行動の中の人類性に向けられたものだ。階級性に向けられたものではない。支配層の利益をむき出しにした国家活動に対してではないのだ、と私は思う。
 
4    とすれば、私は、軍事行動・自衛隊の階級性を剥奪しようと考える。自衛隊(軍隊)から、今の支配層に奉仕するという役割を奪い取り、これを人民のものにしよう。支配層が自由にできる軍隊(自衛隊)を解体しよう。正確に言えば、自衛隊の階級性を排除・払拭させよう。これが今後の私の願いだ。私の思想・行動方針だ。今まで以上にこの考え方を深めていく。
 
 

 

pikoameds.hatenablog.com

 

 

pikoameds.hatenablog.com

 

《追記》1

追記としてここで書くことにためらいがあります。以下に書くことは、本来、別項に書くべきことだからです。

私はしばらくこのブログを書くのを休んでいました。実は書けなかったのです。はじめ多忙なこともありました。しかしそれ以上に、自衛隊・軍隊、憲法改正、日本支配層の動向について書いても疲労するだけで書く気力が失せた、というのが本音です。

ただ、それにもかかわらず、書くべきだと思わせてくれた方がいました。その方は、ご自分のブログに「箴言集」をつけられ、そこにはこう書かれていました。

 ・To believe in something, and not to live it, is dishonest.

(何かを[正しいと]信じていて、その通りに生きないということは、不誠実である。)

・Whatever you do will be insignificant, but it is very important that you do it.
(あなたが行うことは何でも大して重要ではないでしょう。でも、あなたがそれをするということがとても大切なのです。)
・Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.
(あたかも明日死ぬかの如く生きなさい。あたかも永遠に生きるかの如く学びなさい。)
    ――Mahatma Gandhi
    ――マハトマ ガンジー
 
・小さい問題をなおざりにする人に、大きい問題を任せることはできません。
――アルバート アインシュタイン
 
これらの言葉とそのブログ主にこの間、いつも励まされてきました。そして怯えてました。
なぜならその方の方法論と態度が徹底して一貫していたから。私のように曖昧でなかったから。
 
そしてその方は、
"Fleetwood Mac - Go Your Own Way (1977)" 
posted by WarnerMusicVideos at 
https://youtu.be/qxa851vAJtI  という曲を紹介しておられた。
 
この曲は私が大学に入った年にリリースされたようだ。
"Go Your Own Way "すなわち "Go My Own Way"
私はもう少し「日本支配層の研究」をこのブログで続けます。
ただ、ゆっくりやります。
 
《追記》2
今まで私のブログでは、投稿欄を設けていませんでした。
今後は、これを設置します。もしご意見・ご異論があれば自由に書き込んでください。