〈憲法記念日〉考

   5月3日は〈憲法記念日〉だった。

  祝日法によれば、憲法記念日の意義は、「日本国憲法 の施行を記念し、国の成長を期する。」ということにあるそうだ(国民の祝日に関する法律参照)。
  私は、35年以上前、東京・有楽町駅のそばにあった「有楽町そごうホール」で全国憲法研究会(全国憲法研究会)主催の憲法講演会に毎年、聴衆として参加した。確か、小林直樹先生、星野安三郎先生、長谷川正安先生などが、講演されていたはずだ。キチンと記録を調べれば、講演者は出てくるはずだが、ここでは省略する。
  この研究会には日本中の憲法学者が、結集していた。当時の、この中の多くの方は、世代的に〈大東亜戦争〉に〈とられ〉、その反省と教訓から、反戦・人権擁護・人民主権反天皇制(反天皇主権)の思いを胸に憲法を学び研究し教育にあたられていた。
   例えば、星野安三郎先生は平和的生存権の第一人者、また、被差別部落解放運動と関連して「私学訴訟」についても憲法学者として発言していた。長谷川正安先生は、東京商科大学(一橋大学)を出られた後、名古屋大学教授になられ、憲法学者として、また地域でも活躍されていた。小林直樹先生は、ドイツ憲法の研究と日本国憲法憲法研究者として独特の本を出しておられた(東京大学教授)。確か芦部信喜先生も全国憲法研究会に参加されていて、そこで講演をされたのを聞いた覚えがある。
 
   その頃も(40年前も)、日本国憲法は《危機》だった。当時も日本支配層は改憲を試みていた。「押し付け憲法」論、人権規定が多すぎる、すぐ人権・人権とウルサイ、………、自衛隊をどうしてくれるんだ………………。これが、彼ら日本支配層の主要な論点だった。  (本筋からはずれるが、憲法学者でも 若き小林節先生は改憲の議論をされていた。特に押し付け憲法論を採用する復古派と歩調を合わせていた。実はこの方は数年前まで数少ない改憲派の学者筆頭だった。)
 
  しかし、今本当に憲法の歴史、憲法闘争の意味、歴史を感じることなく、庶民の生活、人民としての生きる道を考えず、改憲の議論を平気で進める人が多い。
 
  果たして今回の安倍晋三氏を代表とする改憲派の行動は、日本人民の支持を得るだろうか?
 
  私は、憲法というのは、制定当時の諸階級・諸勢力の闘争の結果を規定したものだと考えている。現行憲法も制定当時の諸関係を示したものであると考えている。したがって「憲法を守れ」というだけでは、たいして意味はないと考えている。しかしそれにもかかわらず、この《日本国憲法》《1947年憲法》には意味がある、と思う。なぜなら、反天皇制(反天皇主権)、権力抑制の意味があるからだ。「現行憲法」を嫌がる勢力が存在する限り、日本国憲法には、大きな意味がある。擁護する。そして祝日法が言う「〈 国〉の成長」も支える。
 
 
《国民(=人民)の力》でこれらは生きている。