〈SEALDsシールズ〉奥田愛基(あき)君への手紙

     僕には息子も娘もいない。自分が望んだことだから、このこと自体、特に何も思わない。しかし、もし子どもがいれば、君と同じくらいの歳だろうか、もう少し上だろうか。僕は自分の子どもたちの世代が、日本、世界でどのように生きるのか、興味がある。そして〈幸せ〉に生きて欲しいといつも願い、僕の〈子どもたち〉の世代の人たちが何を考え発言しているのか、気にしています。

   さて、 奥田愛基君、4月17日の早稲田大学・大隈講堂での、君の発言を日本共産党の新聞・「赤旗」で、昨日たまたま読みました。「赤旗」の記事によれば、その日、〈民主主義を問い直し、市民の運動を考えよう〜 市民連合応援団!『民主主義ってなんだ?』リレートーク〉という集会が行われたようですね。そしてその集会で君は発言したのですね。(手つなぎ民主主義つくる/市民連合応援 学者らリレートーク)

    こも記事によれば君はここでつぎのように発言しています。

  「昨年、私が私のままデモにかかわったように、私のまま選挙にかかわりたい。私のために政治があるからだ。

    率直に言って、この文言を読んで君が何を言いたかっのか、私には全く理解できません。また、上記の「赤旗」の記事からこの集会がどのようなものだったのかも、私には、いま一つよく理解できません。  正直気持ち悪ささえ感じました。君が「赤旗」の記事のままの発言をしたのかも、わかりません。赤旗の記者がまとめただけかもしれません。ですから、よく意味がわからないのは君の所為でないかもしれません。 そこで君の発言を正しく理解するために、その集会に関する動画、ビラなどがあるか、探しましたが、見つかりませんでした。したがって、よく理解できないままですが、君の発言を取り上げようと思います。   

   君の発言には、いつも違和感があります。  なぜだろう、私はいつも自問自答しています。 

  君は、「私」という言葉をこの短い文の中で4回も使っています。

  君にとって「私」こそ大事な存在なのか。確かにナチズムファシズム天皇制の下での暴虐、400万人以上の死ひとを出した大東亜戦争、さらに、スターリンの下でのソ連の暴虐、…を考えたとき、一人一人をかけがえのない存在として大事にする、という個人主義の原理・原則は、大切ですしその実現を図ることは最低の政治・政府の義務です。個人主義自由主義、………という概念に一定の意味があると思います。

   しかし、君が《私》というとき、君はそのこと(個人主義自由主義)を言っているのではないようです。少なくとも僕にはそうではないと感じられる。個人を尊重しかけがえのない存在だというのではなく、《【この】わたくし》、《【この】わたくし》の実存こそを守れ、と要求しているに過ぎない。「私のために政治がある」という意味は、《【この】わたくしのためにこそすべてのものはある》、ということでしょうか?  ここに人間ないし社会の人類性・協働性の観点からの見方が感じられないのはそういうことかもしれません。

   僕は君の国会での発言(一番下、参照)もこの機会に見直してみましたが、同じような感想を持ちました。 君を「持ち上げる」人たちの気がしれないということも併せて申し上げておきます。

   是非、人類史の歩み、国家・社会、個人、などについて、考えてみてください。客観的にいろいろなことを学び前進してください。 僕は最近、ホッブズを改めて読んでいます。考えさせられることが多くあります。長くなりました。君がこれを読むことは、ないでしょうが、………。お元気で。

   追伸。時間には遅れないように、交通事故・交通違反の教唆・幇助行為のないように。

                                                                                                                            かえる

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《参考》君の国会での発言は以下で読めます。

国会会議録検索システム-本文表示(MAIN)

 

 

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