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オスプレイの政治学

かえる、ただ今考え中。

①《沖縄》関連の記事を暫く(少なくとも6月23日まで)、このブログのトップに出しておこうか、②《オスプレイの政治学》または《オスプレイの政治・経済学》というテーマで徹底的に何かを書くか、という2点だ。

オスプレイの政治学》というタイトルの本は今のところ、私は見つけられていない(2016・5・24現在)。何処かの新聞にこういうタイトルの「特集」があったかもしれない。まだ調べてない。

そしてチョット自己宣伝だが、Google検索で、「オスプレイの政治学」という言葉で探したら、私の記事(4/30)が一番上にあった。だから私が《オスプレイの政治学》、《オスプレイの政治・経済学》というタイトルで何かを書いても、そんなにかぶることはなさそうだ。とりあえずの(R)はありそうだ。

では、《オスプレイの政治学》というタイトルで私は、なにを考え描きたいか。

熊本地震の「救援」に際して、日米両国政府=日米両国軍事当局は《オスプレイの出し方》について非公式・公式に事前相談をしている。そこでまず「この国」の意思決定プロセス、どのようにモノゴトは決まるのか。

海兵隊(米軍)がオスプレイを日本で飛行させる権利・地震などの災害時に「支援する権利」・その他の活動の法的根拠(法律・条約上(日米ガイドラインも含めて)の根拠)。

また、日本自衛隊オスプレイの状況、法的根拠、経済性(=資本的・軍事的合理性)の有無。米軍・日本自衛隊のフィリピンでの災害「支援」(オスプレイ出動)。

こういうことを《オスプレイ》を通じて考えていきたい。

さらに私はオスプレイに実際に乗ってみたい。

また、官邸で総理大臣(=自衛隊の現在の日本「軍」の最高指揮権保持機関、(自衛隊法))を補佐すると言われている約20名の防大卒業の佐官・将官の諸君が「軍事・防災・災害対策」の「補佐」の任に当たっていると言われている(安倍首相の発言)。私より若い、自衛隊に勤務しこの国の政策決定・実践に関与している人たちの意見(生き方も含め)、〈現場〉の情況も合わせて報告したい……。こんなことを思っている。

日本自衛隊(現在の日本「軍」)、結局《日本国家》の在り方、有り様をオスプレイを通じて明らかにすること、これが課題だ。

現実の私は、いままでなにをしてきた訳でもない。チョットしつこい、ズーズーしいというのだけが取り柄¿ぐらいだから、何のツテも根拠もない。スタンスとしては、ただ世界史の中における日本国憲法の正当性・正統性を確信してその価値を表現・実現したい、と考えているだけだ。

何処まで行けるか、大風呂敷を広げるのは私の困った慣わしだ。この何年も大風呂敷を広げるのは止めていた。私の手に余るし仕方ない、と思っていたから。

また沖縄の弁護士新垣勉さんはこの問題を既にかなり突き詰めている。屋上屋になっても意味ないし…。

ただ、こういうことが何処かで日本に住む人と日本の利益になる、幸せの基礎になる、そして私自身の人生の総括になり私自身も救われる、と確信している。大風呂敷をキチンと畳んで整理して人生を終わりたいと思っている。私は無名人だし、子どももおらず、せめて残すものは、この国の〈平和憲法〉の思想、制定当時の諸人民・諸階層の願いの反映である〈日本国憲法〉と今後この国の人たちの生きるたたかいにほんの少しでも役立つことでありたい。そして日本人の85パーセント以上が第2次世界大戦の後に生まれ、「戦争」を「知らない」。私自身も含めて。だからせめて学んで終わりたい、私自身の為にも世界の人の為にも。

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《かえるの画像について》

私がいつも訪問して読ませていただいているブログの一つに、Don Xuixoteさんという方のブログがある。このかえるの画像はDon Xuixoteさんが教えてくれたもの。

そしてその方が4月22日に「決定の順序 - AINU POLICY WATCH」という記事をお書きになっている。

この方は、ブログの運営方針について明確な指針を持っておられる。その指針によれば、「今日のアイヌ政策がどのように形成されているのかを理解し、その過程と内容を「先住民族の権利に関する国連宣言」の観点から批判的に考察する――とは言うものの、時々、脱線する。」というものだ。

つまりDon Xuixoteさんは普段、アイヌ民族に対する〈日本国〉の政策を国連宣言の視点に基づき、徹底的に批判的研究をしておられる。本当に狭い道・細い穴をトコトン進む・とことん掘り下げ、その道・穴の底で何か突き当るものを探り当てようとされていると思われる(私はそう理解している)。道・穴に終点があるのか、私は知らない。しかし細部に目配りされ読者をどこかに連れて行ってくれる。このような「モノゴトの捉え方」に私は憧れる。しかし私のモノの考え方では、なかなか近づき難い方法だ。私はいつもこういう〈行き方〉をしたいと願い試みるのだ。だが失敗する。ザル頭のかえるはザルらしく振舞い、闘い・学び・生きるだけだ。他人にはなれない。なろうとも思うべきでない。

講釈が長くなりすぎた。この講釈を書いたのは、実はこのDon Xuixoteさんの上の記事を参照したこともあるからだ。Don Xuixoteさんはご自分の「道」からチョット寄り道(「脱線」)している。私にはありがたい「脱線」だ。そしてDon Xuixoteさんが、上のかえるの画像を紹介してくれた。

その方の掲げておられる箴言につぎのものがある。そのまま引かせていただく。

・To believe in something, and not to live it, is dishonest.(何かを[正しいと]信じていて、その通りに生きないということは、不誠実である。)

・Whatever you do will be insignificant, but it is very important that you do it.(あなたが行うことは何でも大して重要ではないでしょう。でも、あなたがそれをするということがとても大切なのです。)

・Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.(あたかも明日死ぬかの如く生きなさい。あたかも永遠に生きるかの如く学びなさい。)

いずれもMahatma Gandhi (マハトマ ガンジー)

 

 ここにかえるの動画があります。

www.yahoo.com