『一億総活躍』と日本国憲法13条の国民の『存在権』

1 安倍政権が進める『一億総活躍』について、国民の『存在権』を規定した日本国憲法13条の観点から批判的検討をしたい。

2 まず、国民の『存在権』という権利についてだが、多くの人はこの言葉を聞いたことがないであろう。私自身、この《国民の『存在権』》という言葉は未知の言葉、概念だった。そこでまずこの概念・意味から考える。

⑴ まず、日本国憲法第13条の規定の文言からみていく。

前段『すべて国民は、個人として尊重される。』
後段『生命、自由、幸福追求に対する国民の権利は…立法、その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。』

⑵ 普通、この憲法13条は、前段で個人の尊重を規定したものだとされ、後段で個人の生命権、自由、権幸福追求権が国家権力によって奪われないということを規定したものだと理解される。つまり国家権力が個人の尊重を侵害してはならない、個人の自由、幸福追求権を侵害してはいけないということだ。

⑶ しかし、この規定を文言に従いもっと深く厳しく読んだ人物がいた。佐々木惣一である。
① 佐々木惣一は1878年(明治11年)鳥取県鳥取市生まれ、戦後1965(昭和45年)に亡くなった。文化勲章受章者。佐々木は憲法学者(国法学者)で、京都帝国大学教授。1935年(昭和11年)の滝川事件で文部省の弾圧に対して、怒りを込め京都大学教授を辞職した人物として知られている。滝川事件とは、戦前、国家主義軍国主義が台頭する中で天皇制国家権力(文部省当局)が学問研究に介入してきた事件だ。そして戦前佐々木は冷や飯を食わされた。しかし私の理解するところでは、戦後、佐々木は自衛権論などで保守的、率直に言えば国家主義的(右派的)憲法学者であり評価するに値いしないと考えてきた。

佐々木惣一 - Wikipedia

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(注) 下部参照


② しかしこの佐々木惣一に新しい光を当てた憲法研究者がいる。東京大学法科大学院教授・石川健治氏である。
石川健治氏によれば、佐々木惣一は大正期、民本主義で有名な吉野作造東京帝国大学教授)と同時期にドイツに留学し道一つ隔てた所に下宿していたという。佐々木惣一と吉野作造の二人はドイツのイエリネックから国法学(憲法論)を学んだ。
そして佐々木は特にテキスト(条文)を忠実に文理解釈するところに特徴があるという。

⑷ では、この佐々木惣一は戦後、日本国憲法13条をどう読んだのか。
『国民は国家の一部ではない。国民は国家を組成する部分でない。国家という他の全部者の一部をなすものではない。』
国民は、個人は、全部者である。それ自身の目的を持った全部者として、自己完結的な全部者として生きる存在だ。』
『全部が輝いて初めて部分が輝くという考え方とは真っ向から対立する。個人は部分ではない。個人は個人として存在しこの個人が生きてこそ初めて全体に意味がある。憲法13条は≪自分自身を生きる権利≫を保障したのだ。国家と無関係に生きる、その権利を保障したのだ。さらに国家との関係だけでなく、憲法13条は世間(私人)との関係でも、全体(世間)に吸収されず世間に関係なく自由に生きる権利を保障した。このような生き方に国家(政権・為政者、企業、団体も含めて)が干渉することは全く許されない。もしそのような法律、行政行為が行われたなら、それらの法律や国家行為、行政行為は単に違憲というだけでなく、日本の法体系を真っ向から破壊するクーデターでしかなく、最早一片の正当性も持たない。

 

⑸ それではこのように憲法13条を理解した佐々木の理解を推し進めると、『一億総活躍』を掲げる現状の日本国家はどう理解できるか。

① 安倍政権のいう「一億総活躍」とは何か。
日本経済に更なる好循環を形成するため、旧三本の矢の経済政策を一層強化するとともに、広い意味での経済政策として、子育て支援社会保障の基盤を強化し、それが経済を強くするという新たな経済社会システム創りに挑戦する。少子高齢化の流れに歯止めをかけ、誰もが生きがいを感じられる社会を創る。人生は十人十色であり、価値観は人それぞれである。一億総活躍社会は、女性も男性も、お年寄りも若者も、一度失敗を経験した方も、障害や難病のある方も、家庭で、職場で、地域で、あらゆる場で、誰もが活躍できる、いわば全員参加型の社会である。これは単なる社会政策ではなく、究極の成長戦略である。全ての人が包摂(ほうせつ)される社会が実現できれば、安心感が醸成され、将来の見通しが確かになり、消費の底上げ、投資の拡大にもつながる。また、多様な個人の能力の発揮による労働参加率向上やイノベーションの創出が図られることを通じて、経済成長が加速することが期待される(包摂と多様性による持続的成長と分配。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ichiokusoukatsuyaku/dai9/siryou1.pdf 官邸のHPから。

② この『一億総活躍』は一見、安倍政権の「政策体系」のようにして出されてきているが、政策という程その中身について、はっきりしない。その上、その基盤となっている思想は『総力戦』の考え方であり、国家・社会の存在を前提にしたものだ。個人を前提に個人の命、自由、幸福追求を考えたものではない。社会・国家・世間が先にある。その一部として生きることが強要される。被支配層の個人に一層不利に働くものというしかないものだろう。国家・世間の存立が優先だ。だから、子どもを産め、女性は働け、難病を持っていても輝け、悩むな。こうして国民の『存在権』は奪われる。言葉の上の美辞麗句が連ねられ、世間・社会・国家に参加が義務づけられる。

③ 佐々木惣一の憲法理解(解釈)は、憲法に内在する論理をそのまま読み取り憲法が許容する国家行為の範囲を確定しようとするものである。つまり憲法13条の国民の『存在権』を侵害する国家行為は憲法の内在的論理を超え、もはや憲法の許容するところでなく、憲法の破壊行為になるということだ。それゆえ、日本国憲法からみてその内在する論理を超えることは単なる違憲を超えて日本国家が従来の≪国家≫として存立できない状態になっていることを示している。すなわちクーデターである。「すべての国民が敗北者である」(石川健治氏)。資本家・企業者も含めて、官邸に巣食う官僚、自民党政治家、財界の中核部分、一部シンクタンク自衛隊という名の軍部、陳腐なマスコミと電通などの情報産業機関に権力が簒奪され支配される状態になっていることを示している。「労働参加率の向上」という名の強制参加労働、「イノベーションの創出」という名の毎日のオンザジョブトレーニングの名の下での監視と生産性向上運動は今更ながらだ。

 

このようなクーデターは思いのほか静かだ。来るとは思いもよらなかった。静かなクーデターである。戦時であるわけでない。革命時でもない。ある意味静かだ。表向きは。しかし、静かに政策決定がなされる。たとえば『総活躍』の名前で政策が構築されマイナンバーに組み入れられ情報は取られ放題で個人が自由に生きる空間は狭められていく。年金は総活躍の時代だから、支給年齢が遅らされるおそれがある。累進課税は企業者大資本が多くを負担するのが「不当」だからやめさせる。大衆消費課税制度の消費税を自由にとり、その制度設計は民主党保守派野田総理大臣の下で行わせた。(野田は松下政経塾出身だ。)  すべての政策は総活躍の名で語ることは可能であろう。

 

3 このような『総力戦』の思想と『総活躍』に対して何を対置すべきか。国民全員が敗北した状況から最低限の状況を取り戻す為には何をすべきだろうか。

私は、一つの考えとして、佐々木の読み込んだ日本国憲法13条が保障する、国民の『存在権』という思想・権利性を確認発展させる道があると考える。

個人は国家の歯車ではない。部分ではない。個人こそが全体だ。個人がそれぞれ自分の舞台の上でたたかうことこそが人生であり、簒奪された権力を国民全員に取り戻す道だ。

世間、会社の中においても世間と自分の生きる道とを同一化しない道もあることを今一度確認する。それがどれ程困難かは私にもわかる。だが何処かに共にたたかう個人はいる。部分であることを、密かに拒否し自分の道を行くものが連帯しよう。国民の『存在権』はこの一つの道標になる。

 

 

(注)  上記貼り付けた動画は1時間50分程ある。いかんせん長い。また、イエリネックや佐々木惣一という古い研究者が出てくるので、分かり難い。しかし国民の『存在権』という日本国憲法13条の理解の仕方は極めて優れていると考える。それ故、私が理解した限りで、佐々木惣一の国民の『存在権』の考えを紹介して今後の役に立てる為に、ここに貼っておきます。