〈憲法13条〉自民党改憲草案と現行憲法==== 一字違いは大違い

1 今日は、自民党改憲草案13条前段と現行の日本国憲法第13条前段の違いについて書く。

まず、日本国憲法第13条前段は、「すべて国民は個人として尊重される。」と規定している。

⑵ これに対して、自民党改憲草案は、現行第13条前段を「全て国民はとして尊重される」と改正すべきであるという。

自民党憲法草案の条文解説(前文~40条)

 

2  日本国憲法第13条前段と自民党改憲草案第13条前段の文言の間には、一文字しか違いがない。両者の違いは、「個人」と規定するか、「人」と規定するかの違いだ。《僅か》一文字の違いだ。したがって、このような些細な文言の変更に目くじらをたてるな、という意見が国民の一部にはある。このような些細なコトに目くじらをたてるのは、自民党改憲草案に反対する者(=「左翼」)による「為(タメ)にせんとする反対論だけだ」という(例えば、池田信夫氏)。

また、自民党片山さつき議員・元総務大臣政務官(東京大学法学部卒業、旧大蔵省入省・旧防衛庁予算査定担当、現参議院議員)のように、この改正草案の条文は、天賦人権説を排除し、国民は国家の一員であるということを明確に示したものだから、重要な意義を持っている、と述べる者がいる。このように論争的にアグレッシブに明らさまに全体主義思想を進める者には、法社会学的ないし憲法(学)の歴史(戦前日本の立憲憲法史ないし近代人権闘争史)の観点から論争的に反撃すればよい。(もっとも官僚法学を教授された東京大学法学部卒の片山さつき議員の頭には何を言っても無駄だろう。)

3   さて、私は、従来、自民党改憲草案(第13条前段)を批判するに際し文言上の議論が薄いと感じていた。即ち「個人」という概念と「人」という概念がどう違うかを法理論上ハッキリ示し論争する文献が余りない(ように感じていた)。自民党改憲草案第13条に対して批判的反撃を加えるためには、両者の概念(言葉)の違いを明確にする必要があるのにこの仕事を日本国憲法研究者がしっかりやってくれていないと従来感じていた。(私の検索不足なのだろうが)。

ところが、先日、東京大学法科大学院教授・石川健治氏の講演記録の動画を拝見していたら、「個人」と「人」の違い理論的に明確に述べていた。

「個人」という言葉・概念と「人」という言葉・概念は字面だけでなく、憲法学(国法学)上、歴史的・理論的意味が全く違う。そして自民党改憲草案の真の起草者たち(おそらく学者・研究者)は、そのような違いを熟知していてわざと、自民党改憲草案(第13条前段)の文言に「として尊重する」という文言を紛れ込ませたはずだ。これを潜り込ませた人物は、人が良さそうに見え、モノをよく知っているが、実は非常に悪質で狡猾な隠れて全体主義を好む・反動的な人物だろう。

私は、以下でこの「」と「個人」の概念の違いについて簡単に紹介して、自民党改憲草案は、この一点だけでも、絶対許すべきではないということをここで述べる。(なお、以下は東京大学法科大学院教授・石川健治氏の講演記録動画による。)

 4 生物としての《ヒト》と法規範(法学)での「人」とは違う。

一般に法規範は一定の名宛人に向けられその名宛人に対して一定の行為を義務づけ、行為を許容するものであり、法規範には国家権力を背景に強制力がある(注1)。したがって、法規範上の概念は単なる事実上、自然的概念とは違う。(勿論、法規範の概念は事実的、自然的意味を前提にするのではあるが)。だから、法規範の概念はキチンと定義され研究される必要がある。

 5  話は法学上の「人」、「個人」という概念に戻る。

 

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youtube動画より(私の6/14の下の記事に石川健治さんの動画アドレスはあります)。

『一億総活躍』と日本国憲法13条の国民の『存在権』 - かえる日記

  2,000年以上前のローマ時代に遡る。

この時代、《ヒト》の法的立場は❶ 奴隷(隷属民)、❷ 自由人、❸ (ローマ)市民 ❹ 家長(家父長)という地位(法的地位・身分)に分かれていた。

❶ 奴隷にはその名の通り、自由意思はまったくない。上位者による取引の対象で、自由にこれを所有し売買・賃貸などの対象にされる。つまり「物」(モノ)だ。土地・家屋、パソコンなどと同じ扱いを受ける。物、例えば、パソコンは、所有者が自由に売ったり壊したりできる。これと同じように、奴隷所有者は《ヒト》である奴隷を売ったり、壊す=殺したり、論理的には自由にできる。

しかし、時代は徐々に変わり、奴隷の地位から離れ少し自由になる者も出てきた。これが❷自由人だ。元々自由人の立場にあった者も当然にいる。しかし、権利保障は不十分だ。(注2)❸市民は自由権を保障される。❹家父長だけが完全な支配権を保有する。

その後近代市民革命を経て近代国家が成立すると全能の支配権は国家だけが持ち「主権」を国家が持つと構成される。家父長の法的地位は主権に吸収される。❶奴隷❷自由人❸市民の3つの身分・法的地位が問題になる。

他方、市民(「国民」)は、裁判を受ける権利、参政権などを保有することになる。

イェーリングが近代市民革命後の近代国家の実態に即し「国民と国家」の関係をこのように理論化した。さらに詳しく見ることはできるがこの辺で止めておく。

 6  以上を前提に自民党改憲草案について検討する。

自民党改憲草案(以下「草案」と略す)は、現行13条前段の「個人」という文言を「」に書き換えようとしている。草案の「」という意味は、前述のことから見て、単に《奴隷(隷属民)》でないということを示すものに過ぎない。大日本帝國憲法(明治憲法)でも、こんな酷い意味ではない。明治憲法は最低限度、立憲憲法で、民主性を持っている面がある。しかし、草案はそれさえも否定し国民(市民)を国政参加から排除することを可能にする。裁判を受ける権利さえも机上の「権利」(プログラム規定)にしようという企みである。

 自民党草案が、このような決定的的に重要な書き換えようとを行おうとし背後の思想だけでなく、理論上も人類史に反しようとするのに、十分な反撃が理論上され難いのは、研究者の理論的怠慢であろう。石川健治氏はそのことを踏まえ理論的反撃を静かに行っている。石川健治氏を「左翼」だなんだかんだと、例えば池田信夫氏は論難している。なぜなら一番真っ当な理論を展開し全体主義者にとって脅威だからだ。

⑶ 本稿は最後の理論的な説明部分が中途半端で、憲法13条前段の「個人」と自民党草案の「人」との違い、問題点を示し切れていない。しかし、とりあえず、 upします。後日何処かで、自民党改憲草案に反対する運動と日本人民が世界に誇れる人民の憲法を作る作業の一歩なるものを書きます。(注3)

  

 (注1)

例えば、「窃盗禁止」規範は国民に向けられ、違反行為をすると、国家権力(国家刑罰権)が発動される。

また、所有者侵害をすると、裁判所(国家機関)を通して、取り戻されることになる。

(注2)

(以下は憲法学の文献ではないが面白い論文だ。ローマ時代の奴隷制に関して興味が惹かれた。私は研究者でないから、以下の研究者の学派や評価は知らない。調べてももいない。)

①  http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/8565/1/80630_44.pdf

② http://www.evangelical-theology.jp/jets-hp/jets/paper_in_printable/010-06_in_printable.pdf

  ( 注3) 参考までに。

日本国憲法自民党草案との対照表(よく出来ています)。

自民党憲法草案の条文解説 - 全文対照表、改正の概要、法的分析

❷ まるで水と油…「日本国憲法」と自民党「改憲草案」は違い過ぎる? 〈AERA〉|dot.ドット 朝日新聞出版

 

 7/7追記

 

pikoameds.hatenablog.com