「戦没者遺族」とは誰か。

 「戦没者遺族」と称する人の発言をブログ上で読んだ。vergilさんという方のブログだ。

vergil.hateblo.jp

コメント欄で「戦没者遺族」を名乗る方がつぎのようにコメントしている。

(以下、引用)「戦没者遺族
。

日本人か、おまえら?


身内がどんな思いで死んだのか直接知らないんだろうな。


悲しいんだぞ、20代で明日出征するときの事とか聴いてみろ。

中国で首切れなくて何回も軍刀を入れた人の言葉を。

気軽に語れべきではない。申し訳ない。」(引用、終わり)



私はいつも、新たな「戦没者」、「戦没者遺族」を出すな、と書いている。

そこで今日は、「戦没者遺族」とは誰か、についていくつか考えてみたい。

戦没者遺族とは誰か、まず形式論理的な話を書く。

「日本国」は「大東亜戦争」において敗戦し「大東亜戦争」は終了した。
1945・9・2、米国軍艦「ミズリー号」の船上で、「日本国」代表は、降伏文書に調印した。その後、「日本国」は国家行為としての「戦争・武力による威嚇・武力の行使」は一切、行っていない。したがって「国家行為である戦争による死者」(「戦没者」と定義しよう)は出していない。
戦没者は、あの日以来、一人もいない。新しい戦没者が増えていない以上、戦没者の遺族もあの日以来、増えていない。

とすると「戦没者《遺族》」とは誰か。戦没者の《子》なら、71歳以上だ。戦没者の《妻》なら、多分、85,6歳以上。戦没者の《親》なら、90歳以上か。戦没者の《遺族を僭称するその孫、曾孫》なら、それより「若い」《日本人》も沢山いるのか。《遺族》の範囲はどこまでか、法的には厚労省援護局または防衛省(各HP)に行けば分かる。

つまり、「戦没者遺族」を称する者で「本当の」遺族はどれぐらいいるのだろうか。もちろん数ではない。その子孫も遺族に入れて結構だ。私も「戦没者遺族」だ。

私は、上のような愚劣な言葉で君に「お前ら」呼ばわりされる筋合いではない。

  戦没者戦没者の遺族の悲しみはどれほど深く、広く、言葉に表せない、どれほど辛いものだったであろうか。私はこの戦没者戦没者の遺族の気持ちを思うと何も言葉にすることはできない。言葉を出す気力も湧かない。ただただ瞑目する。だから私は時々に、全国各地の戦没者慰霊碑に参る。靖國神社に「参った」こともある。
戦争死亡者(戦没者)の碑は日本中の各地域ごとに特徴がある。それぞれのムラ・町・都道府県によって違う。また、そこに祀られて兵士の範囲も違う。大東亜戦争で戦死した兵士だけの所もある。日清・日露の戦争死亡を含むこともある。
その碑から見える景色も違う。その碑を背後に前方を見ると、平地、田圃、畑、都会の 中(ビル・公園)、遠くに山やまが見える、海が見える。戦没者たちにこの「國」の有り様を見て欲しい、そう願ったムラ村、マチ町の人々が建て、遠くのやま、うみ、川に向け建てたのだ。そして念じたのだ。ヒトビトにとって靖国神社もそうだ。《歴史と現在の意味》がある。この戦没者慰霊碑の歴史、靖国神社については、時間が許せば、また書くかもしれない。(靖国神社については多くの本が出ているから書く必要はない。各地の戦没者慰霊碑についてだけ、できれば、書き残しておきたい)。
(ただ言っておくが、「軍人恩給」が「遺族」に対して国家から支給されたことも忘れてはならない。)

このようなことを感じると同時に、私は、「戦没者」を多数生み出した戦争(大東亜戦争および先行する幾つもの「事変」と呼ばれる「日本国」(大日本帝國)の戦争行為の性質について考え教訓にするべきだと考える。
その方法として「大東亜戦争」全体の性格の研究があるが、同時に一つ一つの戦争行為(戦闘行為)の内容・軍事的意義について研究する方法がある。戦史研究として後者も大事だ。防衛省防衛研究所でも行われている。

また近年では、青山繁晴氏、井上和彦ジャーナリスト(軍事漫談家)| 井上和彦オフィシャルページらが、やたら「戦史」とやらをを言いまくっている。因みに、この諸君は私と同じく戦後生まれだ。井上和彦氏に至ってはオレより年下だよ(笑)。しかも井上和彦氏は自衛隊で「講演」とやらも行っておるそうだ。最近では、自衛隊を退任して戦史研究しているという元将官の記事も見た。いいなぁ、退職金ガッポリ貰って「呑気に」戦史研究かよ。

さて、青山繁晴氏や井上和彦氏は硫黄島の玉砕などについて称えている。可笑しいことに青山繁晴氏、井上和彦氏らは、「日米両軍は良く戦った」、「米軍将兵は日本人将兵が良く戦ったと日本と日本人を称えている」と言っている。
米軍に負けて悔しいとか、仕返し(笑)するとかいう論調ではない笑)。(ここまで根っこが腐っているか、対米従属も此処までだぜ。真正右翼(民族派)が怒る筈だぜ。(笑))

4 この「日本国」の現在の国家行為の諸様相、社会的発言をされておるヒトビトの発言・行動に直面し、考えさせられる。これらに関与すると、ウンザリさせられる。その中で、上のささやかな一事例に出遭った。私はそんなナイーブではないが、軽く書いておくことにした。

私は、戦没者遺族と称する人間に、面と向かって(ブログ画面上でだが)、初めて、「お前ら、日本人か」と罵られた。笑ってしまう。
こういうことをいう人々は元々、多くいた。統一教会勝共連合の諸君、最近の幸福実現党の諸君、元々の日本右翼、民族派と称する諸君など、多数の流派が存在しており悪罵を投げつけてくる。そして「日本会議」と称する団体に諸流派が合流している。

戦没者遺族に関連して一言、言っておくが、「軍人遺族年金」が「遺族」に対して「国家」から支給されたことも忘れてはならない。そして各地の「遺族会」が軍国主義勢力に拠点になったことは忘れてはいけない。

 

5 面白い動画を見つけた。
戦没者遺族」を称し、米国議会合同会議で、硫黄島で米国議会の壇上で花束を受け取った、わが国の衆議院議員新藤義孝氏。

【動画】戦後70年の節目に際し、祖父・栗林忠道を想う。 -新藤義孝インタビュー取材-(2015年8月14日) | 新藤義孝公式ウェブサイト

一緒に壇上に立ったのは、https://en.m.wikipedia.org/wiki/Lawrence_F._Snowden

衆議院議員新藤義孝氏は「戦没者遺族」で総務大臣を務めた。確か、59歳。私が前の方に書いた分類だと遺族の「孫」。戦時、生きておらず顔を見たこともない、母方のお祖父様の《血》を受け継ぐ、そうだ。

衆議院議員自民党)、川口ふたば幼稚園園長、川口市議、川口市役所職員/母方祖父が栗林忠道、父方祖父は川口市会議員、曽祖父は村会議員/
明治大学文学部卒/妻・千亜紀(旧姓・鬼澤/元CA)とは平成17年入籍・再婚。「父親自衛隊習志野空挺団の幹部」(「週刊新潮」2006年3/30号[結婚]より)』)。
なんでも新田義貞の子孫で、名家だそうだ。キャビンアテンダント陸自の幹部の令嬢と再婚とある。真偽は週刊新潮で。

 

【特集】 祖父、栗林忠道陸軍大将 関連 画像資料 | 新藤義孝公式ウェブサイト

 

アクセスジャーナル | 流出した硫黄島・栗林大将の孫=新藤義孝代議士の女性スキャンダル写真

 

6 最後に。
戦没者遺族」さんのお陰でくだらん記事が書けた。感謝する。時間が無駄だった。青山繁晴氏や井上和彦氏の名前を出しておくと外部検索から見に来る人が凄く増える。アフリエイトやっとけばよかったかなぁ(笑)

以上が「戦歿者遺族」という言葉から私が考えたことであります。

それにしても、「戦歿者遺族」の語る言葉の軽いことよ。

 

 

⑴ ❶新藤義孝氏❷井上和彦氏❸青山繁晴氏については下を参照されたい。

⑵ 

cgi2.nhk.or.jp

youtu.be

 

新藤義孝衆議院議員(自民党。選挙区は埼玉県第2区、川口市・旧鳩ヶ谷市。元総務大臣)

【動画】戦後70年の節目に際し、祖父・栗林忠道を想う。 -新藤義孝インタビュー取材-(2015年8月14日) | 新藤義孝公式ウェブサイト

週刊新藤 | 新藤義孝公式ウェブサイト

以上は、新藤義孝公式ウェブサイト | 衆議院議員から。

 

❷ 「虎ノ門8時入り」に出演している井上和彦 (ジャーナリスト) - Wikipedia

www.kazuhiko-inoue.com


青山繁晴