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〈日本人論〉第3回 堺利彦(1) コスモポリタンを目指した、明治3年生まれの日本人

 今日は、コスモポリタンを目指した明治3年生まれの日本人を紹介したい。
 堺利彦(さかい としひこ)。明治3年11月25日生まれ。(西暦1871年1月25日生まれだという。堺が生まれたときは、まだ旧暦が使われていたからです。)。

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京築まるごとナビより


 出生地は今の福岡県みやこ町。このみやこ町は、福岡県北東部に位置し、北九州市まで25㎞、福岡市まで70㎞、田川市まで15㎞のところにある。

堺利彦が生まれた所は当時、豊前国(ぶぜん)仲津郡と呼ばれていたところだ。

堺利彦は没落士族の三男として生まれた。

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櫻と狆(ちん)と愛國心    コスモポリタンの心理』というエッセイの一部をまず、ご紹介したい。

 「狆(ちん)」というのは、「イヌの一品種で体高25cm。顔は平たくしゃくれ、目は丸く大きい。体毛は絹糸状。黒と白、白と茶のまだらが多い。中国からの品種を元に、江戸時代に作出。愛玩用。ちんころ。」(広辞苑)。

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私は今、私の少年時代の事を思ひだす。

明治十九年、私が初めて九州から東京に遊學に來た時、私の友人や先輩の學生間に、よく斯ういふ話のあつた事を覺えてゐる。『あいつは他國人に交際してゐる。』『あの男は他縣人と懇意にして居る。』そしてそれがいつも批難の意味を含んでゐた。

しかしその頃はもうさういふ他人を批難するのは馬鹿々々しいといふ意見を持つてゐる學生の方が多かつた。ただ旧藩の因縁に執着する元氣な豪傑連や、小さな愛國者達が、他の墮落したコスモポリタンを批難するのであつた。

私はいつのまにか其のコスモポリタンになつて、同郷人とよりも、他國人と、余計にに交際するやうになつてゐた。私は其時正に、日本國といふ範圍内に在つては、同郷、同藩、同縣などいふ地方的偏見から離脱したコスモポリタンであつた。 

然し日清戰爭の起つた頃には、私は一個の愛國者であつた。『同郷』『同藩』といふ事から何等の利益も保護も受けなくなると共に、日本國内に於ける私のコスモポリタニズムはいよいよ徹底してゐたが、世界列國といふものに對しては、依然として多量の排外的感情を持つてゐた。若し其時『日本帝國』から何程の利益と保護とを受けてゐるのかと問はれたら、返事には當惑するほどのミジメな貧乏生活を送つてゐたくせに。 

所が、それから十年立つて日露戰爭が起つた時、私は既に非戰論者として×國心を嘲笑してゐた。私は日本國民として、日本國土の極小の一部分すらも分ち與へられて居ない事を知つてゐた。尤も、私の父は初め小さな士族として、家屋と、宅地と、其の周圍の少しの山と、金祿公債證書の何百圓かを所有してゐたが、私が家督を相續した頃には、公債が無くなつたばかりでなく多少の借金があり、家屋と地所とは全部で金七十圓に賣却したのであつた。だから私が其時、日本國民として所有する物は、只だ僅かの家具と、僅かの本と、僅かの衣服類とに過ぎなかつた。そして僅かに文筆勞働に依つて衣食するのであつた。

從つて私は、其の以前に同郷的愛着、同藩的偏見を失つたと同じやうに、今は次第に國民的愛着、國家的偏見を失つたのであつた。

そして其後、現在に至るまで、此の本統のコスモポリニズムは私の心中に層一層の徹底を爲し來つてゐるのである。 

 

センチユリー・ヂクシヨナリーに、形容詞としてコスモポリタンといふ言葉の用例が擧げてある。 Capital is becoming more and more cosmopolitan ── J. S. Mill. 資本はいよいよますますコスモポリタンとなりつゝある。ジエー・エス・ミル。 

資本がコスモポリタンとなれば勞働もコスモポリタンになる筈である。資本の勢力、資本の搾取力がコスモポリタンになれば、それに対抗する勞働運動も同じくコスモポリタンになる筈である。從つて又勞働運動者の心理がコスモポリタンになるのは当然である。 但し、資本は一面に於いて猶ほ大いに國家的であるから國際戰爭も起り、從つて又、國家的社會主義者もあり、コスモポリタンに成り得ざる心理の働きがそこに在る。アメリカの資本家に搾取されるのも、日本の資本家に搾取されるのも同じわけだが、日本の勞働者としては、全く『同じわけ』に行かない心理が殘つてゐる。だからまだ世間に半煮えのコスモポリタンが多い。 

私自身としては、正に一個のコスモポリタンだと信じてゐる。然し私は『一所不在』でない。明かに日本東京に居住してゐる。又海外に旅行した事も殆んどない。『四海を家とする』ほどの廣い心持もない。國語と風俗と人種との關係上、世界の有らゆる國民、有らゆる人種に對して、『一視同仁』といふほどの、全く同じ親しみを感じ得るとは云へない。從つて又、『地方的又は國家的の偏見』からは離脱してゐる積りだけれども、日本人と、日本語と、日本の風俗と自然とに對して、まだ可なり多くの『愛着』を持つている事は争はれない。

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Statement of the WPC regarding the situation in the South China Sea | World Peace Councilから

( 参考)

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