松川裁判・最高裁『無罪』判決から53年…9月12日

    53年前の今日----。
    昭和38年(1963年)9月12日、松川裁判において最高裁で無罪判決が出され、19名の被告人全員(一審死刑判決5名)が無罪とされ解放されました。

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    「松川事件」というのは昭和24年8月、現在の福島県福島市松川町東北本線線路上で何者かが列車転覆を仕掛けた事件です。その事件で国鉄の労働者、近くの東芝の工場の労働者など20名(女性1名を含む)、逮捕・勾留され、その後翌年、第1審福島地方裁判所で19名が有罪とされ、内5名に死刑判決が出されまた事件です。

    この「松川事件」は、昭和24年占領下で起こされた事件であり、松本清張氏ら多くの人がのちに『日本の黒い霧』で「米国占領中の陰謀」として追及してています。

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    この裁判闘争は長く続きました。
「無罪獲得」、「公正裁判」要求の運動・闘いでした。文字通りの国民全体の要求でした。この「事件」は、戦後の米国占領下での反動的流れの中で、謀略的な列車転覆「事故」を作り出し、日本人、日本労働者階級、アジア民衆に打撃を与えるものでした。

    しかし反撃は開始されました。
    初め、反共と勤労者に対する弾圧の厳しい中で救援は広がりませんでした。
    しかし粘り強く着実に勤労者・国民・世界に声が聞こえてきました。60年安保のたたかいもありました。

    自由法曹団の弁護士らは初めから法廷闘争を支えました。

    国会でも衆議院法務委員会で衆議院議員(当時)・志賀義雄ら日本共産党の議員団、日本社会党の議員団がたたかいました。
    広く広津和郎志賀直哉吉川英治川端康成などの文学者・作家、歌舞伎など演劇関係なども合流して、大きなたたかいになりました。映画も作られました。

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松川事件 (映画) - Wikipedia

    また保守と認められる著名な弁護士もたたかいに参加し裁判所の弁論に立ちました。

 

    また、広津和郎の『松川裁判』という中央公論での連載はおおくの人びとの共感と議論を巻き起こし、これが国民全体のたたかいであることを示しました。

    しかし大事なことは、実は有名な人びとではありません。知られていない一人ひとりの心・われらです。われらのこころです。

    その結果、事件から14年を経て、1963年9月12日、最高裁無罪で19名の被告人全員の『無罪』を勝ち取りました。

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    さらに昭和45年(1970年)、この「松川事件」の国家賠償請求が認められ民事的にも、本件が不当であったことが明らかにされています。

 

    日本人にとって重要な国民全体の要求でした。今も忘れるべきでなく、今後も教訓は生かされるべきだと私は確信しています。

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👉 松川事件を歩く

👉NHK archive.fo

 

👉 松川事件 - Wikipediaご参照下さい。

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《最後に》

    その運動の中には、「為にせんとする動き」は多々あったし、あるでしょう。

    しかし大事なことはひとりひとりの心です。ひとりひとりが人生を賭けてそれぞれが自らの場所で直向きに生きていることです。わたくしはその生き方に心から共感すると共に私もそのような『釘』を打ちたいと願っています。そしてわたくし自身が釘になりたいと願っています。

 

 

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