「職場での旧姓使用を認めない」という東京地裁判決~雇用契約の本質と関連して

    「女性教員が職場で旧姓を使用ことは認めない」という判決が10月11日、東京地裁で出された。この判決がちょっと話題になり、一部ではかなり取り上げられた。いまも議論は続いている。

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    事の発端は、東京都内の私立「日大第三高校・中学」に勤務する女性の教員が旧姓の使用を申し出たが認められなかったことにある。そこでその女性教員は「人格権侵害」を理由としてこの学校を運営する法人に対して旧姓使用と損害賠償(民法709条)を求めた。
    この問題についてつぎの4つの観点から考えメモを作っておきたい。すなわち❶「企業」の立場・論理❷「従業員」の立場・見方❸裁判所の判断の枠組みと本判決の当否❹私の考える本質。

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    そもそも企業は「職場で旧姓使用を禁止すること」ができるのか。
    企業の論理からは、「旧姓の使用を禁止すること」は、当然にできる。もともと企業は基本的に営利や社会的価値を実現することを目的にしている。企業者はそれらの目的を達成するためにその企業を設立し運営している以上、その企業者は自由に業務の内容・運営・存立・終了を決めることができる。もちろん法律、社会常識・通念に反してはならないのは当然だ。しかしどのように経営するかは基本的にその企業者の自由だ。企業者が好きに決められる。資本を出した者の自由だ。その際「従業員」を「どのように使うか」も基本的に企業者が自由に決められる。ここがポイントだ。これが資本主義のシステムだ。
    企業にはいろんな種類がある。例えば新日鉄トヨタなどの製造業。三菱商事などの商社。ローソン・セブンなどの小売り。基本的に顧客のニーズに応じて製品を作り販売するシステムの中にある。だから物が売れることが利益になり「社会貢献」になる。会社の中の従業員が「気持ちよく」「働き」利益を多く出せれば別姓であろうとなんであろうとかまわないはずだ。しかし企業としては業務で顧客や他社とつながるので同一人か否か分からなくなるのは困る。それこそ手形小切手を振出すにしても(この決済システムは古いか、笑。)、書類の決済をするにしても誰の意思か不明になるのは企業の運営に支障が生じる。だから企業は「従業員」が結婚して新しい姓になったら、その姓を使え、旧姓の使用禁止と命じても企業経営の観点からすれば当然許容されるだろう。しかも企業者は、「従業員」に対して、雇用契約民法623条)の内容として自己の指揮命令権を及ぼせるというのが当然の価値判断だし、論理だ。
    この論理はたとえ「学校」であっても同じだろう。学校経営者の目線からみて、教育「産業」だ、とするならば。学校も利益が上がって(儲けて)「なんぼ」、存立運営は利益が上がらなければどうしようもない、とするなら正しい「論理」だ。
    再度言うと今のシステム(資本主義システム)の中では企業が「従業員」を「どう使うか」は基本的に企業の自由だ。企業が儲かるのにふさわしい対応をするだけだ。儲かるために不都合なら引っ込むだけのことだ。その企業が別姓使用を認めないで顧客からの信頼を失い女性・ヒトに「優しくない」企業と思われると利益が減ると感じ、考えるから「譲歩する」のだ。(続く)

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カエルとカボチャ。本文とは関係ないですが  ^_−☆。

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