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いろんな「忍法」

かえるメモ

この数日、色んな『忍法』の使い手がいることに気が付いた。前から知ってたこと(ヒト)もあったが、改めて忍法の使い手とその使い手を雇っている殿様のことを考えさせられた。

オモシロかったのは、憲法学者が忍法の使い手となっているケースだ。ある方が、この憲法学者の「事例」について「事例研究会」を開いてくださっているので、今後もこの方の「事例研究(ケーススタディ)」に注目する。だからこれ以上触れない。「過激な」だけの(はははは)オレは口を出さずに見て楽しむことにしま~す^。まあ、この分野は、オレは新参者で口を出すほど調べてないし、よく知らないというのがホントの処ですが。

それにしても世界中にはいろんな忍法の使い手とその使い手を雇っている殿様がいると関心させられる。
日本のディズニーランドにも来たことがある方が、クアラルンプールの空港で暗殺された話も興味が惹かれる。バカ殿が暗殺指令を出したと云われているが、どうせそのバカ殿の行動把握していたヤツラもいるんだろ。主犯はそっちじゃないか。二人考えられるけどね。

 

暗殺と云えば、トロツキーは、1940年8月21日、メキシコでだ。スターリンの手先に暗殺された。

ただ肉体的暗殺でなく、心の暗殺も恐ろしいものだ。

ココロの暗殺に関連して、私が今注目しているのは今度の指導要領「改正」で江戸時代に『鎖国』はなかったという記述になるということだ。この指導要領の「改正」の狙いは種々あると思われる。
その中の重要なポイントの1つは「江戸時代に『鎖国』政策は採られていなかった」という記述になるということだ。井上清氏家永三郎氏など連綿と続いてきた戦後日本の歴史教育の流れは完全に葬り去られる。私は彼らの「史学」を全肯定するつもりもないし、批判点は多い。だが、今回の指導要領「改正」はとりわけ重要だろう。世界認識・日本歴史認識に国家が方向を与え「指導」を強化するのだから。

 

最後に、憲法の先生の教科書の「はしがき」から少しだけ引き抜いておく。
「本書の執筆依頼をうけたとき、率直に言って、引き受けるべきか否かについてある種の迷いのようなものを覚えた。…けれども、執筆を引き受けるに至ったのは、一種の世代論的認識のようなものであった」
「筆者が執筆の最中にしばしば思いを致したのは、P・A・フロインド教授の『法と正義について』の一節であった。法の存在理由は、芸術の場合と同じように、人間の多様性と無秩序を愛おしみつつ、それに一定の秩序を付与し、「無秩序」と「秩序」の間に均衡と適正な緊張関係を保持することにあるのではないか、…筆者の立憲主義へのアフェクションは、フロインド教授の法の役割に対するこのような捉え方への共感に根差している」「昭和56年2月」。
私の手元にあるのは、第三版だけど、初版からもっていた。このはしがきはよく読んだ。批判的にね。

まあ、この人がアソコの座長です。前の司法「制度改革」のときも中心人物でした。多分この方も、忍法の使い手です。使われ手かなぁ。山田風太郎の研究したら、ええんや。

 

ぁぁ、自分の身の回りを含めて疲れる。ヘルマン・ヘッセに慰められる。

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