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世代または世代論について【手紙、のようなもの】

かえるメモ

    私がよく読ませていただいているブログで、その女性の書き手の方が、「世代間の違い・個人的考察」というエッセイをお書きになられている。明け方、読ませていただいた。この方が「考察」されていることは私自身、私の相棒(=同伴者)が感じていることでもあり共通の「感覚」がある。
    ほんとはその方の処にメモを書き込むのがいいのかもしれないが、私の理解が誤ったり、そこから飛躍してしまい、その書き手の方に、ご迷惑をかけるとよくないので、自分のブログにメモ【手紙、のようなもの】という形で書き留めておく。(したがってそういうことなのでリンクも張らない。)

 

    その方は昭和26年生まれと云われている。(私は1957年生まれなので6歳違いだ。)
    その方はこう書かれている。(以下非常に雑駁なまとめで、私の読みが書き手の意思・こころを反映しているかわからない。申し訳ない。)

    学校では「権力は腐敗する」、「だから『ジャーナリズムは権力を監視する』務めがある」ということを学んだ。その当時は、「戦争中教え子を戦地に送り出した」教師たちが「「教壇に立っていた時代」だからそう教えたのだろう。だから「いま社会活動をしている中心層の60代後半から70代以上の世代は」(!)は「権力は腐敗する」と認識をしている。
しかしその子どもたちの世代30後半~40代の世代はそうではない。さらに20代、30代前半の人たちの感覚は違う。
社会運動に「ご夫婦で参加している方はいらっしゃるが、親子で集会に参加したりして」いるのを「私はほとんど見ていない」

 

    多くのの論点がある。
    1つはこの方がお書きになっておられるように各世代の時代背景だ。私流にいえば、日本資本主義(世界資本主義)の、この60~70年以上にわたる展開と、その下での財界・文部省・自民党・のイデオロギー政策、テレビなどの「マスコミ」(さらには現在の「ネット社会」を資本が利用していること、など考え合わせると各時代背景とその影響を考えるのは一筋縄ではいかない。
    2つ目は、どのような「社会」が望ましいとお考えになられているか、そのための、どのような社会運動をお考えになっておられるのか、~「民主主義を機能させること、自立した『ひとり』でありたい」とねがわれ行動されているのであろうことは、ブログの端々に現れていて、とてもすてきだと私は感じる。このような方が、いることに救われる。(私は茨木のり子さんの「倚りかからず」という詩がすきだ。 倚りかからず / 茨木 のり子 著この方に捧げる。

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    3つ目は主体の側の力量・「民主」性、ありやいなや。
    論点は多い。書き足りない。実践的でない。時間もないし例によって、半端だ。だがまた考えたら書くことにしよう。

 

    なお、ジャーナリズムは資本によってつくられ資本の意向を伝えるもので「権力を監視するもの」ではない、と考えている。


    だが(!)それにつけても、社会運動の中心が60代後半~70代というのは笑ってしまう現象だ。結局「団塊の世代」だけがやってて、「団塊」は子育てに失敗したということだろうか?
    結局彼らの世代の子育て、時代の育成はどうだったのだろう?

    私のいろいろな「世間についての感想」は適当に見てくださればわかるだろう。


    なお、グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉論稿は、細かい箇所は議論する必要があるが、問題意識は共有する。

    私の好きな若い書き手たちはどう感じるだろう。とうふ sさん。さて、hm。

    もちろん答えはいらない。ただ云ってみただけだから。

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