こどもに対する愛・支配

 

    昨日は「子ども手続き代理人」というタイトルで書かせていただきました。そのさわりとして、《「こども」とは誰か、「こども」とは「何か」》という「こども」観についても、ほんの少し書きました。お読み頂きありがとうございました。

(子ども手続き代理人 - かえる日記)

 

    「子ども手続き代理人」について検討するには、遡って、「こども」自身にどの様な実体的権利があり、それを実現するためにどのような手続き保障がされているか、検討する必要があります。例えば、こどもには、離婚した両親の一方と「自由に」面会交流する権利がある、養親の虐待などに対しては、親権停止要求権がある、…………など議論する必要があります。その際子どもには意見主張の機会と権利が保障されているということなどです。

 

    確かに、「こども」がこころを自由にしていきるプロセスの一つとして、家庭裁判所の手続きや「子ども手続き代理人」を利用することを私は否定しませんし、この手続きが有益なこともたくさんあると思います。しかし親子関係において真の問題はこの様な法的問題ではないと私は思います。

 

    親が離婚したり、困窮したりしていなくても、親の欲望によってこどもが《苦しい処》に押し込められることはよくあります。「ふつう」の家庭、「学力の高い」こどもに対しては、周囲は親がよく子育てしている、考えます。しかし、そう思われる家庭においても、子どもが自分自身の行く手を妨げられ、重いものをしょわされ、親の欲・支配にあえいでいる姿を見せられます。その苦痛はずっとのちのちまで続きます。したがって真の問題は、親の支配・親の慾から「こども」が自由になれることです。法律問題より先に、親自身に親の「欲」を考えさせることが大切です。「こども」のこころの自由・楽さを認めるには、まず親が自己の欲(支配・社会的地位利益、虚栄(みえ))に気付きの機会を持てるようにすることではないでしょうか。親は未だに、むかしと同じことを繰り返しています。気が付きません。しかも今日のマスコミの発達した状況で「言葉」「言い訳」は巧みです。こどもの為、という言い訳は未だに使われています。上手く対応することではない筈です。

 

    さらに女の人はこういうものに嫌気がさして、こどもを産みたくないのだろうと思います。支配・欲とは何か、を考える機会が増えることが仕合わせな人生を過ごす為に必要で、裁判制度はそれについてきます。如何でしょうか。

 

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いま2月下旬。

オリオンなどの冬の星座は西に傾き隠れてきました。

春の星座が東天、南天に輝いています。

お変わりなく。 

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