管理された天皇制と新しい国民統治

讀賣新聞(4面)に『安倍政権と皇室』という連載が今朝から始まった。

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上の方に天皇皇后、下の方に(左)渡部昇一、(右側)安倍晋三をコラージュする讀賣新聞

(2017/5/9・讀賣新聞)

今朝の記事では、①4月18日死んだ渡部昇一の通夜に、多忙な安倍晋三が弔問に「駆けつけた」、②首相に再登板を勧めてくれがのが渡部昇一であった、③渡部昇一は安倍の「理論的支柱」であったということが書かれてある。そして④渡部昇一は去年11月の天皇退位に関する有識者会議において【安倍の「天皇観の代弁者」】として発言したということが述べられている。
つまり渡部昇一安倍晋三は政治的・心情的に非常に近しい関係にあり、特に天皇制に関して渡部は安倍の【理論的支柱=代弁者】であり、両者は政治的盟友関係にあるということが述べられている。

このことは、今更確認するまでもなく、以前からよく知られていることである。
だから私はこの関係(勢力)とどう闘って、切り込んでいくかということが我々の課題であり、日本の統治される側(民衆)の課題であったと考えてきた。
したがって私がこのブログで一貫して日本右派(国家主義者)に対する批判的・批評的文章を多く書いているのは、以上の課題を意識したものだ。

(なお、讀賣の本記事では書かれていないが、桜井よしこも「天皇退位の有識者会議」において、渡部昇一と同様な立場で発言し、従来の桜井よしこの主張を変更し渡部昇一の主張=安倍晋三の路線に合せてきたので、人々があっけにとられ「驚いていた」ことにも注意されたい)

 

さて、渡部=安倍の天皇観(「天皇制」観)はどういうものか。
讀賣は安倍=渡部の天皇観をこうまとめている。

天皇は「国民の安寧を四六時中祈る、祭祀(さいし)の役割」を担っており、「日本という国が代を重ねて文化と伝統を築いてきたという、歴史の重み」を象徴するものだ。
天皇の第一のお仕事は国のため、国民のためにお祈りをされることだ。(国民の)目に触れてお働きになるのはありがたいが、それは二の次だ。」

 だから彼らの論理からは、天皇は国民(「臣民」)に敬われて存在しているだけで十分であり、現行憲法の規定する「国事行為」をする必要さえなく、そのままただ恐れ多くもかしこくもあられることこそが重要で、況や「国民とともにある天皇」ということはケシカランことだということになる。
天皇陛下天皇さまは畏くも恐れ多くもそこにおわしますこと、それ自体が尊いことである、…こういう観念が基礎にある。そして統治は「われら」が行う、というものだ。これは明治維新前後の「長州」の思想系譜そのままだ。

 このような思想・状況の中で、「天皇退位法案」が提出され、国会で審議されることになろう。
讀賣新聞は既に決まったとばかりにこう書いている。
天皇陛下の退位を実現する特例法案が月内にも成立する見通しとなった。首相の皇室観の源流を探りながら、退位という憲政史上例のない課題にどう向き合ったのか振り返る」(太字は筆者・わたくし)。

「管理された」天皇制と新しい形態の国民統治】…………このような更新(up date)を介して新しい支配体制、2020とその後50年後に向けた【新しい憲法】「制定」の動きを底流に進んでいる。


これに対してどうするか、改めて考え・行動提起する時期だと筆者は考える。新しいplanは出されるのか、それともこのまま統治される側(民衆)は唯々諾々と彼らの意向を受け入れるのか、【新しい、そして古い】たたかい(統治される側のたたかい)が待っている。(2017/5/9/0945)

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 関連拙稿  .渡部昇一と稲田朋美題

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