『北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書 (2013年)』

『北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書 (2013年)』.pdf

(2013年3月21日発行/発行国立大学法人北海道大学 佐伯浩 〒060-0808 札幌市北区8条西5丁目)を読む。幾つか抜き書きメモしておきます。

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「Ⅰ報告書作成の目的」略。

「Ⅱ調査資料」略。
「Ⅲ-1北海道帝国大学医学部・北海道医学部におけるアイヌ研究とアイヌ人骨収蔵」

「1北海道帝国大学医学部におけるアイヌ研究の始動」(1921~1933頃まで)。略。伊藤晶一教授(戦後医学部教授)発言「平取村のペンリウク大酋長(ママ筆者注)の遺骨も提供されたことはありがたい」(ママp17)。p17 [山崎春雄祝辞など]。(写真あり)//「4戦後の墓地発掘・アイヌ人骨収蔵」(p51~)、「北海道大学医学部解剖学第一講座・解剖学第二講座「1962年」「1972年7月2月16日~7月24日にアイヌ人骨を発掘した証左である」(p54)。自ら「証左」だと自画自賛している。


「Ⅲ-2アイヌ納骨堂建設以前の人骨の保管と「天覧」」66p.
この項、圧巻である。本調査報告書に意義があるとしたら、ここの記載p77以下である。この記載の為に他の報告あると云ってもいい。


2-2昭和天皇への「御進講」(1936年9月28日)

「2-3昭和天皇の「天覧」「2-3戦後の「天覧」」

昭和天皇は1954年の北海道行幸の折、8月22日に北海道大学を視察した。「児玉作左衛門は医学部…。3回目の「栄誉」である。」「これらはいずれも、北海道帝国大学北海道大学が、アイヌ人骨やアイヌ生体写真等、山崎春雄・児玉作左衛門の収集資料が、天皇・皇族に供すべき医学部を代表するにふさわしい「研究業績」だと考えていた証左である。勿論、当時の新聞報道が、アイヌ人骨等の収蔵展示を批判的に論じたことは一度もない」(ママ。強調、筆者)

「上記の他にも、1957 年8月には池田隆政・厚子(昭和天皇第4皇女)夫妻、1955年6月には横綱千代の山を医学部標本庫に案内している。

 

Ⅳ総括

ここを読むと本調査報告書の報告者らの腰の引けっぷりが明らかになる。
ここから一文だけ引き抜いておきます。
「Ⅳ-5「北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書」とアイヌ人骨管理体制の確立」)僅か7行、そのうちの1行半の最後の文。総括曰く


北海道大学と医学部は、本調査報告書と新たなアイヌ人骨管理体制に基づき、収蔵アイヌ人骨の管理を厳正に行う所存である」(ママ)(117p)

 

http://hmjk.world.coocan.jp/archives/hokudai_report2013.pdf

2017/5/15/1558

 0517/1257

 

pikoameds.hatenablog.com

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参考資料Don氏の意見。重要なのでここに記録する。

アイヌ協会の動きについて

06/01//1917

北海道アイヌ協会は、5月28日の定例総会で篠田謙一氏に講演させて、質疑応答のための時間はまったく用意しなかったらしい。
北海道アイヌ協会は、政府のガイドラインに従って、自らの会員、しかも当該遺骨の祭祀承継者である会員の先祖の遺骨だけを選別して、その一体一体にペンリウクさんの遺骨に行なっているのと同じような同定作業を行ない、祭祀承継者の遺族からインフォームド コンセントを取り、「物質移転合意書」を作成してから「象徴空間」に移すことであろう。それ以外の方法を取れば、政府のガイドラインをはじめ、種々の手続き規定に反することになる。
篠田氏は、『学術の動向』論文でも28日の講演でも、縄文時代の人骨と江戸時代末期から明治時代以降に盗掘された遺骨を、あたかもこれまで使用後に放り出されてきた遺骨と同じように、ごちゃまぜにして話をすることで、争点をずらしている。

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