〈共謀罪法案‼︎ 反対〉監視社会の深化に社会の未来はない。

監視社会の到来・再来・深化・一段深化・絶望・絶滅について。

壊滅から恢復・新規の道はあるか。

5月19日、「共謀罪策動、反対!」は前に何回も書いたから、もういいかと思っていた。しかし思い直して明け方「共謀罪強行採決【監視社会の到来】」という記事を書いてupした。

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ただその時この内容・タイトルでいいのかと自分で疑問を持っていた。
そうしたらその日(19日)の昼、わたしの気持ちを見透かしたように××さんからコメントを頂いた。丁寧な口調で直接私に対する批判がましいことは一切なにもお書きになられていませんでした。厳しい口調でない分余分参ったなぁという気持ちがした。ただホントはそういうコメント頂き嬉しかった。お為ごかしのコメは嫌だから。

共謀罪法案反対…‼️

テロ防止名目で思想・行動を犯罪化する法案に反対‼️

 

記事には、現時点でどういう内容・タイトルをつけるべきか。

監視(管理)社会の到来/再来/進化/深化/一段深化/絶望・破滅への道。/自己崩壊のみち。

どのタイトルにするかによってその人の現実認識と行動が想定される。

到来派〉は現状をまあまあと評価しているのでしょうか。受容できる。
再来派〉は、いまはまだマシ。しかし今後、戦前の治安維持法のようになるという感覚なのでしょうか。
深化派〉は現状は既に強固な監視・管理・搾取が強化され、それが今後深まっていくという認識に基づいている筈です。

私は【一段深化派】として、最後のタイトルにすべきだった。

なぜなら現状は既に強固な監視・管理・搾取が強化されているから。しかしわたくしの前の記事で【到来】とした。
なぜ「到来」にしたか。
その意図はあの文章の中ににありました。あの文章がまだるっこしいのでお気づきになられなかったと思いますが、(わかりませんが)、あの文章の名宛人は創価学会の一般会員さん宛てでした。{現実的に}(曲者の言葉ですが)改憲阻止・共謀罪攻撃阻止をするためには彼らのちから意思、伝統、日本の民衆の意思が必要だと思っております。確かにこの思考は戦術論のところもあります。しかしこれから500年のみちからするなら人々の意思ちからが必要だというのが一つの道筋だろう。(これは私の頭の中の単なる希望的妄想にすぎませんが)(その前に破滅するかも知れんし、マアそれも仕方ないかなぁ)…。かれらの未来にとってもよくないものが到来するという気持ちでしす。現実の彼らを(も)放置できない。支配勢力から引っぺがしたい。おそらくは通じまいが。

 

(なお再来派の様に治安維持法のようだと安直に云うのは仲間内で云うのは、イイけどその人たちだって治安維持法を何も体験していない。私自身の自己批判・自戒を込めて言いますが。皮肉過ぎますかね)

 

バック・トゥー・ザ・フューチャーという映画があったが、そのシリーズ2で、未来にタイムスリップしたらとんでもない大統領が選出されて世の中が暗黒になるのが分かったので現在に戻って来てその人物が大統領になるのを阻止するという内容だった。

 

(三井三池、北見、夕張などの)ガス爆発の坑道においてカナリアを先頭に歩く救助隊のことを考えます。カナリアは坑道の奥に充満しているガスの匂いを先に感知し先に死ぬ運命にあるということも思い出されます。自分はカナリアになることもなく(出来ず)、妄想の中で死んでいくかなと思いながらおります。××さんは時にカナリアの声を伝える伝令として、時に…カナリア
さてオレはこれからどうしようか

「わらわれ」と言うが果たしてこの認識・言葉の用法は正しいのか。これは支配=被支配の構造の中の被支配の中に支配=被支配の構造を作る発想だし、人をダシにするものだし、人に依存・倚りかかるものだ。ひとりで立つ。(0520/1600初稿)(0530/0212)

まだ「この」社会に未来は有るのだろうか。

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