日本の憲法・前文(第5回)

〈はじめに〉
    憲法前文の検討を再開します。前回まで4回にわたり、「(推理小説・探偵小説)覚書」というブログをお書きになられているq52464さんにご協力いただき、英文の日本憲法前文の訳を作っていました(注1)。日本の憲法・前文 カテゴリーの記事一覧 - かえる日記を参照されたい。

    これから何回か、q52464さんの訳文を利用させていただき、憲法「前文」の検討をします。

   「検討」と云いましたが、実はまだ筆者の「直観」程度であり、理論的・歴史的評価の検討が必要です。

     また「改憲」運動を首相が先頭に立ち行っている現段階では、当然その「改憲」運動に対抗するため、理論的・実践的に有用・実用的なものを書く必要があります。しかし以下は全く不十分で試論です。ただ、それを承知で再開します。「未完の問い」と「未完の答え」です。(注1補足)


<本論>

----✳︎----✳︎----✳︎----✳︎----✳︎

まず、英文。

We, the Japanese people, (…)determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution.

(英文の途中に()が入っているが、文の構造、内容理解を容易にするため筆者が意図的に()の部分を除いた。(注2))


以下、q52464さんの訳文。(これ以降「訳文」という記載はq52464さんの訳文を指す。「正文」とは現行憲法の文言を指す。)


我々日本の人民は、(…)全ての国家との平和的連携の恩寵とこの地に広くいきわたる自由の恩恵とを、我々自身とその子孫のために維持する事をここに定め、政府による戦争の恐怖を二度と繰り返さない事を強く決意し、主権が人民に在る事を宣言し、この憲法を堅く樹立する。

 ----✳︎----✳︎----✳︎----✳︎----✳︎


(一)    まず、訳文は「『我々』日本の人民は」で始まっている。英文前文が[We]で始まっているのだから「われわれ(我々)」という文言を入れるのは当然である。ところが現行憲法の文言は「我々」という文言が抜かされ、「日本国民」は、という文言が出だしになっている。(注2)


    憲法制定議会の資料などの検討が必要だが、ここで「我々」という文言が現行憲法で落ちている(落とされている)のは意図的である。

    昭和20年から21年当時の状況を見れば、当時の昭和天皇を先頭とする旧支配層は、「大東亜戦争」=第二次世界大戦において大日本帝国が米英ソ連やアジア人民に敗北し、ポツダム宣言を受諾した(1945年8月・9月)。

    天皇を先頭とする旧支配層はやむなく嫌々、ポツダム宣言を受諾したのである。

    明治以降、大日本帝国アイヌ民族に対する抑圧を進め、朝鮮半島・中国でも植民地(=殖民)政策をとったが、1944年以降南方戦線や旧満州樺太など北方でも敗北し、されに「徹底抗戦」を叫び敗北の承認を拒み、結果東京大空襲を受け国際法違反とはいえ広島長崎に原爆投下され、これ以上戦闘を継続していたのでは、日本人民(庶民)だけでなく彼ら(旧支配層)は完全に死滅する。それを防ぐため、彼ら旧支配層はヤルタポツダム宣言を受諾し、その後政治犯として拘禁していた徳田球一・志賀義雄ら日本共産党員もやむなく解放せざるを得なかった(9月)。

    この状況で彼ら旧支配層は新憲法の前文に「我々、日本(の)人民」と書き込むことは屈辱(恥)の上塗りであり許容できなかったのである。だから彼らはギリギリ「日本国民」という文言にしたのだ。

    そもそも「大東亜戦争」での敗北を「日本の」敗北と考えるか「日本の旧支配層(≒日本帝国主義)」の敗北と評価するかについては争いがある。この評価次第で現在の憲法前文を含め憲法全体の評価が根本的に異なってくる。そして憲法前文の冒頭に「我々」という英文にある文言が抜かされているのと関連がある。私の推測・理解では、正文では旧天皇制との関連・整合性・旧支配層の意図でわざと『我々』という文言が省かれていると思われる。しかも旧支配層はリベンジをしようと敗戦直後の時点でも密かにこの前文の文言の中にも仕掛けを入れておいた。率直に言ってある種の謀略で「彼らの闘争」である。こういうのは推理小説的で読みこみすぎだろうか。いや、違う。歴史の推移からすれば、読み込み過ぎでないと私は考えるが、どうだろうか。


 (二)   つぎに訳文は「日本の人民」という文言を採用している。この点について述べる。

これは画期的だ。Japanese peopleという英語の文言にあてられる日本語としては「日本国民」「日本の人々」「日本人民」などが考えられよう。しかしq52464さんは「日本〈の〉人民」という言葉を充てておられる。私の中にはこの語はなかった。私にとってすごい発見だ。


    「日本国民」というのでは日本国籍保有するもの(憲法10条)と云える。「日本の人々」というのは、趣旨・意図は分かるし一つの卓見だし素晴らしい意味が含まれていると考える。しかし①国民主権論・人民主権論などで闘ってきた政治=理論闘争、つまり世界の歴史・民族と人民と庶民の困難・苦闘をやや軽視することになり、②法理論や法においてきわめて重要な「定義」を無視することになる。したがって「人々」という文言は採りにくい。


    また私の頭の中にあった「日本人民」というキーワードは、例えば芦部信喜教授・佐藤幸治教授・樋口陽一教授・杉原教授らの憲法の概説書レベルの記述などからも理解できる、法学的(理論的)用語である。人民主権論・国民主権論の議論の枠に乗りやすい。また「人民」という用語を用いることにより天皇の位置づけなどが憲法原理にふさわしくないものであるという読み込みも可能になってくる。


    この様に「人民」「日本人民」という用語を用いることは適切だと考える。


    問題は<「日本の」人民>という用語だ。まずこの文言のメリットは、「日本の」人民とすることで、「日本という地域に住む」「人民」ということを表せる点だ。

    また日本に住む「人民」という世界性・人民の共通性、全歴史的使命の中にこの憲法があり、被支配性の転換をもたらす過程にある、その一部(まだ初歩段階だ!)ということの宣言になる。


    ここで日本の憲法が「日本の人民」と書いてあると読むことは重要である。「人民」とりわけ「日本という地域に住む人民」は、朝鮮や中国から何らかの理由で渡来し(渡来させられ)、アイヌ民族として生まれ、また長く「日本人」として存在した末裔、すべての被支配人民の宣言・憲章として憲法を活かすのだ。

    憲法は「われわれ」人民のモノである、どいう宣言だ。彼ら(旧支配層)が嫌がって変更を加えたがる根拠もそこにある。この憲法は「押しつけ憲法だ」という主張がずっとある。確かに押しつけ憲法である。誰が押し付けたか? 世界人民である。われら日本の人民は世界の人民の協力でこの憲法を作ったのだ!私は喜ばしい。勿論人民の中にも分裂・劣情が少なくない。いや多い。だがそれでも希望の憲法と云おう。私はそう読もう。

    人類は後世から見れば(またバック・トゥー・ザ・フューチャーの視点から見れば)、おそらく世界的反動期に入っているだろう。大きな揺り戻しが来ている。恥も外聞も捨て去り露骨に資本や支配の世界になっている。この段階で世界は〈人民の世界〉と〈支配層の世界〉に明確に二分されている。多く(被支配層も)が資本や支配の世界を公然と肯定して恥とも思わない。そういう時期に入っている。


    政治の現実と政治学においては、支配=被支配(上=下)の関係は基礎的概念である。しかしこの支配=被支配(上=下)関係を転換し、少しでも平面の世界にしていくというのが人類の希望である。それが人類の闘争である。その為に多くの人間が苦闘してきた。社会・経済・政治、もちろん憲法闘争の中でもだ。この闘争(支配=被支配関係の転換)という人類史の文脈で日本の憲法の前文を読むためには、まず前文の冒頭部分を

我々(われわれ)日本の人民」と訳すことが必要であり有効であると私は考える。(取あえず今日はここまで。つづく。能力に余裕があれば。)

 


(注1)実は私の日本語訳は完成していない。その理由は、私が怠惰で英語力が不十分なのは別として、この日本の憲法英文(前文)の歴史的意義や現在の憲法状況を考えると英語の各単語・英文構造にどのような訳語・訳文を、<現時点で>充てるべきか決断できない点にある。
    しかし私の能力不足と決断力不足をq54264さんが補い余りある果実を私にもたらしてくれ上記訳文を作ってくれた。

(注1補足)ここから先は世間の憲法「改正」問題と共にq54264さんと意見は分かれるかもしれない。しかしまず、q54264さんのここまでのご協力とご意見・ご感想を寄せてくださったことについて心からのお礼を申し上げます。そしてできればこれからもブログ上の友人としてお付き合いくだされば幸せですが、もしそうでなくとも、「友」であったことは間違いないと思っている。なお、q54264さんは「就職氷河期」世代の人間だとご自身、云われている。『読書の方法』 吉本隆明 - (推理小説・探偵小説)覚書(注)参照。

なお本拙稿筆者は1957(昭和32)年生まれ。

(注2)長谷川正安『昭和憲法史』(1961年、岩波書店)、『憲法運動論』(岩波書店、1968年)、鈴木安蔵憲法草案要綱』、同『日本憲法史』など参照されたい。筆者はこれらの基本文献を現在手元に置いていない。(残念だが個人的事情のためだ。)


(注3) <私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 XI (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(13)) - hajimetenoblogid’s diary

このブログは読み考える資料にする価値があると考える(僭越な言い方で恐縮だが)。

なお、同氏の記事「どこまでも、天皇をバカにした政府「退位法案」--hajimetenoblogid’s diary」も参照されたい。先程接した。

#0607/1345

広告を非表示にする