聖武天皇の和歌一首

    道に逢ひて 笑まししからに 降る雪の 消なば消ぬがに 恋ふといふ我妹

    『万葉集』には聖武天皇が詠んだ先の歌が在る(第四巻、六二四)。この歌の題詞には、「天皇聖武天皇)が酒人女王(さかひとのおおきみ)を思って詠んだ歌一首」とある。

    この一首をどう解釈するかについて争いがある。「定説」と「異説」と云うべきものの二説が対立する。私は斎藤茂吉大西巨人の「異説」を採りたい。(注1)  斎藤・大西説によると、この歌は聖武天皇〈が〉酒人女王に対して愛情(恋心)を抱き、自身の、酒人女王に対する愛情・愛おしく思う気持ちを詠んだものという。

    これに対して「定説」は、我が妹(女王)は、道で逢って、微笑(ほほえ)みを向けかけただけで、あたかも降る雪がすぐに消えてしまうように、羞じらって、俯き消え入りそうだ。女王はそれ程(わたくしのことを)恋い慕ってくれている、と理解する。

    酒人女王〈は〉私(聖武天皇)に好意を持って微笑んだが、酒人女王は恥ずかしがってその笑みは雪のように消えたと理解する。

    「定説」からだと、聖武天皇が自分はいい男(色男)であると自認していて、きわめて現代的に世俗的に云えば「俺、こんないい男だから、オマエ、俺を好きになるなら好きになってもいいよ」と云っているのだ。自分でナンパして声をかけておいて、オレかっこいいだろう、ねえ、好きになってもいいよ、と言うのだ。現に最近の他所のブログは上記定説を当然のこととして、そこからこういう解釈をしている。(万葉集24 愛していいよ!僕は受け止められるから(聖武天皇の和歌)|誰かを忘れられない貴方へ)。

    だが聖武天皇はこんなに尊大でないだろう。ナンパ野郎でもないだろう。万葉集に記された「題詞」に合わないし、聖武天皇の自律した像に合わないような気もする。当時の日本の人人のこころをなめた解釈かもしれない。所詮日本、日本人を連呼する諸君の気持ちはこの程度か?

    わたくしは「定説」を許容できない。

     聖武天皇慶雲4年(707年)に生まれ、天平勝宝8年(756年)亡くなっている。聖武天皇と妻・光明皇后の間には男子がいなかった。聖武天皇の娘の阿倍内親王孝謙天皇)が女帝となっている。しかも聖武天皇は生前に譲位している。

    それとも日本支配層は「定説」の言うように、昔から、くだらんものだったのか?因みに6月8日は聖武天皇の命日だった。本人に聴いてみたいものだ。

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聖武天皇陵(下記wikipedia,宮内庁HPより)

(注1) 大西巨人『日本人論争 大西巨人回想』(左右社、2014・7・31) p216

(参考〜3つ)

聖武天皇 - Wikipedia

-天皇陵-聖武天皇 佐保山南陵(しょうむてんのう さほやまのみなみのみささぎ)宮内庁

尚この文章は拙稿"共謀罪"法、成立。この記事と一対のものとして書いた。

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なお、現時の憲法闘争をどうするか?について

👉兵法と人類愛・日本の憲法擁護 - かえる日記 夜up

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