1978年のぼくから2018年の君へ =『憲法が変わるかもしれない社会』(高橋源一郎編著・文芸春秋社刊)=

憲法学会のキムタクと憲法学会の松潤が本書『憲法が変わるかもしれない社会』には登壇する。高橋源一郎はこう紹介する。

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この本のつかみはOK。ミーハーな僕としては気に入っている。憲法学会のキムタクというのは長谷部恭男であり、憲法学会の松潤というのは、石川健治だ。
長谷部につては本ブログで取り上げたことがないが、石川健治については何回か取り上げている。「一文字違いは大違い」というタイトルで憲法13条の自民党草案と現行憲法13条(前段)の文言は一文字しか違わないがその考え方内容は根本的に違うと書いたことがある。


さてこの本の中でも松潤石川健治)は頑張って「立憲主義って、何だ」と公演(いや違う、「講演」だ)している。
石川健治の出だしは{かつて日本の憲法学は『演歌の世界』だった?というモノだ。ココから始まって「主権者を縛るフォーマットとしての立憲主義」「立憲主義の意味は時代ごとに問い直される」そのほか天皇の「お言葉」の問題などについて、古くて新しい憲法の課題【僕に云わせれば、憲法をめぐる階級闘争と社会闘争】について語っている。


また長谷川恭男は「憲法問題こそ、『法の解釈』が問われる」というテーマで語っている。
「法解釈」というキホン中の基本問題について述べている。憲法学会(広く法学会では)法解釈論争という論争があった。多くの研究者を巻き込んで議論が展開された。この白熱教室的議論は、もともと憲法第九条の解釈が政府によって変更され勝手に軍事力の増強日米安保条約の強化された60年安保改定に際して議論された。実は未だにこの問題は大変だ。


さらに本書への「登壇者」は片山杜秀天皇制とデモクラシーの歴史を読み解く」。
また「不寛容社会における人権問題」森達也
最近までNHKの「クローズアップ現代」のキャスターだった国谷裕子が「『分断』が進む時代におけるメディアリテラシー」というタイトルでゲストとして発言している。
そして最後に原武史がゲストとして「いま僕たち国民が問われている」と題して高橋源一郎と対談講演をしている。


この本はこのブログの紙幅の中で紹介しきれない。
とても白熱(電球)のように熱い。そして重要なテーマが突き付けられている(とぼくは思う)。
現代憲法(学)の中心人物がゲスト公演し、広く自己の考えを述べているだけでなく、現代の課題について森や国谷、原が高橋源一郎と共に考えている。

 


1978年のぼくは大学2年生だった。その年3つの講演会をやった。「講演会をやった」と云うと偉そうだし不遜だし全く不正確だ。正確には「講演会開催の準備作業をした」というべきだろう。いずれの講演会でも200人位の学生が集まってくれた。


その時の講演は
1)「憲法と弁護人抜き裁判法案~刑事司法の改悪をどう見るか」(青法協所属弁護士の講演)
2)「平和のうちに生きる権利を今こそ問い直そう」(星野安三郎・憲法学者
3)「狭山差別裁判と法解釈」(倉田哲治弁護士・狭山差別裁判主任弁護士、土日ピー缶爆破事件不当裁判弁護人、後に司法研修所教官)


今の憲法状況と違っている。まだ憲法が生きていたと思う。
若い人たちはどう感じているのだろうか。
2018年の学生(女男)の皆さんや青年労働者サラリーパーソンはどう感じているのだろうか。


他の人たちに問うのはやめよう。
1978年のぼくは何をしてきたのか、そして2018年のぼくは何をしているのだろうか?
憲法闘争の課題にたいしてどれだけたたかえているのだろうか。
本書はとても面白い。まだ手をつけたばかりだが、これからきちんと読んで書いていこう。


本書は明治学院大学国際学部で行なわれた講演の講演記録であり,明治学院大学国際学部教授高橋源一郎が編集している。