『「民族共生の象徴となる空間」構想の憲法的意義』(落合研一・国際人権ひろばNO.108(2013年03月発行号))批判

一、『「民族共生の象徴となる空間」構想の憲法的意義』(落合研一・国際人権ひろばNO,108(2013年03月発行号)を改めて読んだ。

「民族共生の象徴となる空間」構想の憲法的意義 | ヒューライツ大阪(一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター)


この論文は『国際人権ひろば」に、落合研一が5年前に書いたものである。私はある方のブログ憲法による先住民族の権利の保障 - AINU POLICY WATCHで何回か読んだ筈だが自分がいつ読んだかはっきりしない。その読後この論文について憲法学上の理論的内在的批判と理論的発展の為の「試論」を書く必要があると考えたはずだがメモを見てもはっきりしない。


現在私は前記落合の「論文」(私には「エッセイ」としか思えないが)の「憲法的」部分の見解について批判的検討(の準備作業)を行い更にこの「理論」の廃棄と憲法理論の発展を図る目的で今後拙論を書こうと考えている。(私の目論見が成功するかわからないがやれるところまでやってみようと思っている。)


二、この論文(以下「論文」とは上記落合論文を指す)は憲法学会の通説と云える「人権論」に基づいていると考えられる。


1、戦後の通説的憲法論は、宮沢俊義、清宮四郎、伊藤正巳などによって構築され、その後芦部信喜佐藤幸治高橋和之らに引き継がれている。通説はさらに東京大学に転じた樋口陽一が従来の通説に加えて個人主義の徹底やフランス憲法学比較憲法学の成果を採り入れ従来の通説をより洗練し人権論と統治機構に関する民主性を目指そうとしたと考えている。さらに現在の通説的立場の中にあっては石川健治樋口陽一の流れを受け継ぎながらも従来の自然法思想的な通説的立場から法実証主義的傾向を取り込んでいると考えられよう。

2、そして落合論文は自身の論文の(注)にあるように芦部信喜高橋和之補訂『憲法』第5版と石川健治の論文を注に挙げている。それらのことからも分かるように、落合論文は先の通説の系譜をひいている。
3、ということは該論文と対峙することは「通説」(実はさらに判例や日本公法学会の主流)に対抗せざるを得ない厄介な仕事だろう。特に芦部信喜は伊藤正巳が英米法を研究し他方宮沢俊義日本国憲法を研究講じていた後、東京大学助教授時代に司法研修所から公費でアメリ憲法判例の研究を命じられアメリカに留学しアメリカの裁判所の合憲性判断基準に関する研究を行い報告書や研究論文を多数出している。その意味で落合を批判することは芦部憲法学を批判的に発展させ決別することでもあると云える。


三、前振りはこのくらいにして、本論文つまり従来と現在の通説(判例も含め)の内在的批判を行う為に当面検討する必要があると思われるのはつぎの諸点である。
1、人権享有主体性論
⑴ある民族に属する個人が(民族性を根拠に)人権享有主体を主張できるか。
⑵民族という集団が人権享有主体になれるか。
2、「新しい人権」論
「新しい人権」として民族の権利ここでは特にアイヌ民族の民族固有の権利、事後的に賦与された権利が日本国憲法上認められるか。特に日本国憲法第13条が「個人の尊重」を保障し「幸福の追求権」を規定しているが13条前段後段から新しい人権として(アイヌ)民族の権利人権を解釈上導くことが可能か?可能だとしてその論理的裏付けや実体など検討する必要がある。
3、人権と制度との関係論
憲法上人権(権利)保障があると云ってもこの人権は現代国家においては「国家」=制度を基盤に置いている。だからたとえどんなに権利人権が保障せよと叫んでも国家を前提とせざるを得ないしまた諸機関(行政、司法、立法)を義務付け実際に行動させざるを得ないようにするというシステム(仕掛け)が必要になってくる。例えば「学問の自由と大学」「信教の自由と政教分離}「情報開示請求権と情報開示制度」「生存権社会保障制度」など多くの事例があげられる。これらの仕掛けを作るのは実際は各省庁官僚、法務官僚、与党国会議員であるが、これらの諸君にやらせるのは建前上「国民」であるから、国民主権民主主義議会制度さらに立憲主義という論点についても自分の見解を表明する必要があろう。これらについては石川健治が奮闘しているからその奮闘の成果を内在的発展させ新しい社会構築の運動と結びつけられればより良いだろう。
4、⑴石川は優れた憲法学者であり清宮四郎の研究など法実証主義京城大学での研究を踏まえ新しい通説の構築をしているのでこの論者から学び克服するのは一筋縄ではでは行かないだろう。また立憲主義について憲法第9条との関連、特に自民党安倍政権の改憲策動と対抗する見解を示している。その意味で通説は未だ有効性を持っているといえる。だが同時にその限界保守性を明らかにしなければならない。古典的文献の研究と合せて私の考えを深化させる機会になるだろう。
⑵私の立場を予め述べておけば現代の成果を採り入れながらも「ユダヤ人問題によせて」(マルクス)などを基礎に人権論を構築しようと考える。
⑶落合が該論文で芦部高橋の「憲法」第5版を引用し、人権の①固有性②不可侵性③普遍性という3要件をあげ民族の権利主張はそれに当てはまらないから民族の権利は「人権」でないと論証しようとしているが、この見解自体イェリックの人権論を基礎に芦部など通説が構築した議論であり、その3要件を金科玉条のごとく述べるのは人権の歴史性(人類の闘争史)を軽視する机上の学問だと現時点で評しておきたい。(私が持っている芦部憲法は芦部新版(1997年3月発行)で単独著78p以下である。)以上