山本周五郎の短編

   山本周五郎さんの歴史小説には江戸の庶民貧民の暮らしやこころを描いたものが多くあります。「 風の吹き溜まりに塵芥が集まるように江戸の貧民窟に貧民が集まる」というような小説を山本周五郎さんはたくさんお書きです。

   随分前、山本周五郎さんの小説をたくさん読み慰められました。

   その中でタイトルも覚えていないのですが、 ある短編小説がありました。それは武家ものでした。下級武士が貧しくて妻になる人と添えず、 妻になる人とそのおなかの中にいた子を失うという小説でした。 失った子の墓を建てることもかなわない。 仕方なく川辺にある別の人の墓の側の石にいつも詣でている。 似た境遇の同僚の武士はそれを忘れ仕官し前にすすめと励まし自分は出世していく、それでも情けない武士は川辺に佇む、そんな小説だったと思います。 違ったかな。女のひとは別の武士の妻になったのかな。 忘れました。もっと重味がある小説だったかも知れません。戦時中の作品でした。戦中勇ましい人たちに対する庶民兵士の「苦しさ」をも込め、何も成し遂げられず、 誰も幸せにできず、妻子しかも添えない妻(許嫁)と産まれて来ない子をなくした者の哀しさを描いた作品でした。或いは山本周五郎さんは戦意高揚小説が嫌いだったのかもしれません。

  毎年5月下旬になると、丸の内の大きな建物や桜田門界隈で夜遅くまで煌々と電気がつき、ビジネスマンが必死で働いている光景を、僕は皇居のお堀の道端から情けない思いで見ていました。彼らと早く「対峙」したいと思っていた僕は無念でした。夜の日比谷公園を歩きました。それは毎年5月の第二日曜日母の日が終わりその後の5月末の「行事」でした。それと寒い秋、初冬、年3回の「行事」でした。

  あなたのご健闘をお祈りします。 あなたはあんな話を読まないでしょう。不要だと思います。 時間も惜しい。悔いなき時間をお過ごしください。物語が必要なのは僕のような敗北者落武者です。僕は「敗者」ですが物語に癒されいまを生き感謝しています。もうとっくに落武者の感情はありません。他方「勝者」には物語は不要です。あなたには物語が不要であって欲しいと思っています。ただし抑抑(そもそも)人生において何が〈勝ち〉か〈しあわせ〉かは分かりません。